ケンメリ。その数62万台以上。セダン、ワゴン、2ドア、GT-R・・・ケンとメリーのスカイライン、多くのバリエーションを実車で追う。

実車とともに追う、ケンメリ。その歴史

       
ケンメリ。その数62万台以上。
セダン、ワゴン、2ドア、GT-R・・・ケンとメリーのスカイライン、多くのバリエーションを実車で追う。

【ケンメリクロニクル】

4代目のスカイラインとして、1972年9月にデビューしたC110スカイライン。広告やCMで使われたキャッチフレーズ「ケンとメリーのスカイライン」から、ケンメリの愛称を持つことは、国内はもちろん海外の旧車ファンにも知られている。カタログモデルとして5年弱販売されたが、その間には排ガス規制適合車として50年規制、51年規制をクリア。さらに歴代スカイラインの中でトップとなる70万台以上の販売台数も達成した。多くの人々に好かれ、時代のアイコンとして今なお輝き続けるケンメリ・スカイライン。その姿を改めて眺めてみたい。


>>【画像30枚】バリエーションに富んだ4代目スカイライン、そのオーナーカーたち。ケンメリ スカイラインの変遷史、そしてC110スカイラインのデザインなど

ふたたび出合ったサーフィンライン

1973年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT



 ケンとメリーというイメージキャラクターを起用し、販売戦略的にも大成功を納めた4代目スカイライン。その歴史は1972年にスタートした。4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンのラインナップに、翌1973年には2ドアハードトップ2000GT‐Rが加わり、1977年8月の5代目スカイライン登場まで、人々にその印象深いスタイリングを刻んだのだ。3代目から受け継がれたサーフィンラインはやや主張を抑えながらも、エクステリアデザインの重要なアクセントとなり、大きくなったボディにスタイリッシュなスパイスを加えている。

ヤナセが販売したケンメリGT-R

1973年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT-R



 輸入車のインポーターとして、日本のモータリゼーションの発展に貢献してきたヤナセ。100年を超える歴史の過程において、1957年からプリンス車の販売を手掛けていたことは意外に知られていない。当初はさまざまな問題があったプリンス車だが、ヤナセが顧客に対してきめ細かいフォローを行い、各部を改善していくことで、信頼性を高めていった。そういった意味でもスカイラインの歴史の上で、ヤナセは外すことのできない存在といえる。1966年8月1日にプリンスと日産が合併してからも、ヤナセでの販売は継続され、1974年まで続けられた。つまりケンメリまでは、ヤナセでも販売していたのだ。

王道のカッコよさを表現した1台

1973年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT-X



 2017年2月に開催された「ノスタルジック2デイズ(N2d)」の会場で、そのたたずまいに思わず目を引かれるケンメリGT‐R仕様が展示されていたのを、覚えている方もいるだろう。そのR仕様が今回の車両だ。このケンメリGT‐R仕様では、オリジナルに忠実な仕様を再現するという考え方はもともとなく、ケンメリハードトップの王道のカッコよさを突き詰めて表現する、ということがメインコンセプトだった。

基本車としてデザインされた4気筒セダン

1973年式 日産 スカイライン 1600 スポーティ GL



 S50系以降のスカイラインの場合、4気筒エンジンを搭載するモデルのことを「ショートノーズ」と呼ぶ場合が多いが、これは正しくない。C10系、C110系、C210系までこの通称が使われ、4気筒モデルと6気筒モデルでボディが同じになったR30系以降は使われなくなった。今号の40ページから始まるC110スカイラインのエクステリア担当デザイナー、松井孝晏さんのインタビューの中でも触れられているが、スカイラインの場合、4気筒モデルで外観のデザインを作り込んでいった。いわゆる「基本車」は4気筒モデルであり、6気筒モデルはその派生車という位置づけなのだ。スカイラインのアイデンティティであるリアのサーフィンラインも、プレスラインとえぐられた面の構成が巧みで、絶妙な頃合いで個性を主張しているのだ。

ケンメリ最終モデルのワンオーナー車

1977年式 日産 スカイライン 2000 GT-E Lタイプ エクストラ



 1970年代前半まで続いた日本の高度経済成長は、スカイラインというクルマの哲学にも、大いなる変化をもたらした。2代目S50系や3代目C10を振り返ればわかるように、それまではレースでの好成績がそのまま基本性能の高さをアピールすることにつながり、販売台数の伸びに直結していた。ところが、徐々に大衆が求めるクルマ像にも変化が表れてきた。走行性能にのみ特化したクルマでは、多くの大衆の支持を集めることができず、車内の広さや装備に余裕のあるモデルが支持を集めるようになってきたのだ。この一連の流れに、日産も敏感に反応。1972年に誕生した4代目C110スカイライン、いわゆる「ケンメリ」に、市場が求める広さと豪華装備を与えることを決意する。


初めてワゴンを名乗ったスカイライン

1973年式 日産 スカイライン1800 ワゴン スポーティGL



 スカイラインは、国産車の中で早くにステーションワゴンをボディバリエーションに加えたクルマだ。最初は2代目の50系で、1965年6月に1500エステートを発売。バンとボディを共用して外装や内装を豪華仕様としたもので、5ナンバーの乗用車扱いとなっていた。このエステートは3代目のC10系にも受け継がれ、1968年8月のフルモデルチェンジの時にラインナップ。エステート1500がカタログモデルとなっていた。1969年8月のマイナーチェンジではシリーズに1800が追加され、エステート1800も登場。当時のカタログには「1800ccでは国産唯一の本格的なエステート。4速フロア・シフトのスポーティ・ワゴンです」という文字が躍っていた。

戦う象徴としてのGT-Rレーシングカー

日産 スカイライン 2000 GT-R レーシングコンセプト



 2代目GT‐R、KPGC110がレースで使われたことはなかった。日産ワークスの実質的な活動が、1972年いっぱいで終了したこともあったが、スカイラインでは台頭著しいロータリー勢の相手をするには荷が重すぎる、という判断が働いたためだ。1972年4月、サバンナRX‐3がサーキットに登場すると、王者GT‐Rは劣勢に回ることを余儀なくされた。実際、大一番となった5月の日本グランプリでは表彰台に上れず、最終決戦として臨んだ10月の富士マスターズ250kmでは全滅を喫していた。その一方で、スカイラインシリーズは、この年9月に第4世代のC110系(以後、新)へと進化。これによりC10系(以後、旧)GT‐Rによるレース活動の期限は自ずと決定した。新型車を使わず旧モデルでレース活動を続けることは、自動車メーカーとして常識的にあり得ないことだからだ(唯一、グループA時代のスカイラインで例外を見ることができる)。

C110ケンメリスカイライン 5年間の軌跡を追う



 大型化・高級化、「ケンとメリー」の一大ブーム、歴代最高の販売台数、ワークスのレース撤退、排ガス規制、最後のS20型エンジン搭載GT-R。何かと4代目C110スカイラインにまつわるエピソードは多い。そこで、その歴史を簡単にまとめてみた。短くも長い5年間をいま一度振り返ってみたい。


SPECIAL INTERVIEW 松井孝晏

[ C110スカイラインのエクステリア担当デザイナー ]




 4代目となるC110系スカイラインは、広告やコマーシャルの影響もあり「ケンとメリーのスカイライン」として、デビュー後、瞬く間に人々に知られる存在となった。その印象的なボディのデザインを当時担当したのが、松井孝晏さんだった。入社2年目の若いデザイナーが新型スカイラインの社内コンペに参加し、勝ち取った大きな仕事。ピュアな感覚でがむしゃらに取り組んだからこそ生まれた作品だと、当時の思い出を語ってくれた。



初出:ノスタルジックヒーロー 2017年10月号 vol.183
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


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