星野組が圧倒的な実力を見せた90年シーズン。91年シーズン、1クラスはいよいよGT-R一色に|国内モータースポーツの隆盛 特別編【4】

日本勢が表彰台を独占した91年インターTECの表彰台。85年のボルボ240圧勝時には想像も出来ない光景だった。

80年代、自他共に認める「レースの日産」は、グループA/Cとメーカーの真価が問われるレースで苦境に立たされていた。とくにメーカーの看板を背負う量産車ベースのグループAは、R30・RSターボ、R31・GTS-Rが大苦戦。だからこそ満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。

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90年シーズン、GT-Rは6戦6勝。星野組が5勝、長谷見組が1勝でシリーズタイトルは星野が獲得。シリーズ第4戦から3台目のGT-Rとしてトランピオ(後にアクシア)GT-R(清水和夫/影山正彦)が登場した。

91年シーズンは、開幕戦に4台目のGT-Rとしてタイサンクリッパー(高橋健二/土屋圭市)が参戦。GT-Rの優勢はすでに動かしがたいものでシエラ勢は激減。戦っても勝てないのだから当然の反応だった。

また、第4戦以降、ザウルス・チャンプ、ナポレックスとスポット参戦のGT-Rが参戦。最終戦のインターTECには5台目となるFETスポーツGT-R(見﨑清志/長坂尚樹)が登場し、1クラス(2501cc以上)はいよいよGT-R一色に染まっていく。

この年は、新設のオートポリス戦が加わり、代わりに西日本戦が休止。数の上ではこれまでと同じく年間6戦でシリーズは組まれていた。

シーズン成績は長谷見組が3勝、星野組が3勝とシリーズを分け合うかたちになったが、リタイアのなかった長谷見組がポイントで上回り、この年のタイトルを獲得した。

【画像16枚】強さを見せ続けるR32スカイライン。次第にレースは、GT-R一色になっていく


>>前年のチャンピオンを示すゼッケン1で走るリーボックスカイライン。長谷見は90、91年の2シーズンをリーボックで戦う。


>>92年はJECS(写真)、93年はユニシアジェックスカラーで走った長谷見昌弘。取りこぼしがなく常に上位で完走する安定度の高さが特徴だ。



【5】へ続く


初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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TEXT&photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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