異変が起こった92年の第2戦。カルソニックとジェックスの牙城を崩すダークホースが登場!?|国内モータースポーツの隆盛 特別編【5】

かつてのGT-Rの使い手・高橋国光と人気上昇中の土屋圭市が走らせたタイサンSTP・GT-R(92年オートポリス戦)。

80年代、自他共に認める「レースの日産」は、グループA/Cとメーカーの真価が問われるレースで苦境に立たされていた。とくにメーカーの看板を背負う量産車ベースのグループAは、R30・RSターボ、R31・GTS-Rが大苦戦。だからこそ満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。

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92年は、開幕戦にGT-Rの新コンテンダーとして共石(A・オロフソン/木下隆之)とHKS(羽根幸浩/萩原修)が登場。長谷見がリーボックからジェックス(JECS)にスポンサーカラーを変え、タイサンクリッパーがタイサンSTPとなり、ドライバーが高橋健二から高橋国光に交替となった。

すでにレギュラー参戦組だけで7台のGT-Rを数え、シエラ勢はゼロの状態。新設のTI英田戦が加わり、西日本がMINEサーキットと名称を変えて営業を再開したことで、シリーズは年間8戦と規模が大きくなっていた。

異変が起きたのはシリーズ第2戦のオートポリス。共石GT-Rがカルソニックとジェックスという2強の牙城を崩して勝利。オロフソン、木下と技巧派ドライバーを揃えた共石は、最終戦のインターTECも勝ち、シリーズ2位にランクされるポテンシャルの高さを見せていた。

【画像16枚】それまで2強として圧倒的な強さを誇っていたカルソニックとジェックススカイライン。


>>こちらは番外編となる海外レース、91年のスパ24時間だが、ここでもGT-RはグループA/Nの両部門を制覇した。


>>92年のインターTEC表彰台。1位共石、2位ユニシアジェックス、3位アクシアの順。この頃はすでにGT-R戦国時代だった。



【6】へ続く


初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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TEXT&photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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