前年までの僅差が嘘のよう。GTS-RからGT-Rになった途端に驚異的なタイムを叩き出すスカイライン|国内モータースポーツの隆盛 特別編【3】

GT-Rでの星野の戦績は凄まじかった。90~93年までの全29戦中28戦に出場。15勝と驚異の勝ち星をあげた。

80年代、自他共に認める「レースの日産」は、グループA/Cとメーカーの真価が問われるレースで苦境に立たされていた。とくにメーカーの看板を背負う量産車ベースのグループAは、R30・RSターボ、R31・GTS-Rが大苦戦。だからこそ満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。

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GT-Rデビュー年の90年、そのインターTECで星野が見せた速さは圧巻だった。星野は、前年の同レースでポールポジションを獲得していたが、その時のタイムは1分35秒069。2番手はシエラで、その差はわずかに100分の24秒と僅差だった。

それが1年経ち、車両がGTS-RからGT-Rに代わったとたん、タイムは一気に縮まった。やはりポールポジションは星野だったが、叩き出したタイムは1分31秒309と壮絶。前年から4秒も縮まっていた。1分30秒台で周回するコースの4秒短縮と、2分で回るコースの4秒短縮とでは、速さの質、意味はまったく異なってくる。星野のタイムは驚異的だった。

ちなみに、この時シエラ勢の最速タイムは1分34秒667。89年から0.6秒ほど速くなったが、これは順当な伸び分と見てよく、4秒も速くなったGT-Rの実力は異常だった。

【画像5枚】車両がGTS−RからGT-Rに変わった途端に驚異的なタイムに


>>競技中の星野は気持ちをあからさまに表現することでもよく知られていた。納得のいかないことは徹底的に突き詰めた。



【4】へ続く


初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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TEXT&photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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