初代フェアレデーからS30フェアレディZまでを駆け抜ける!|フェアレディ物語|Tales of the Fairlady

1961年式 ダットサン フェアレデー 1200から、1972年式 日産 フェアレディ 240ZGまで

       
フェアレディという車名は、日産のスポーツカーの名前として、今なお、さん然と輝いている。そのルーツは、1959年6月に登場したダットサン・スポーツ(S211)にさかのぼる。翌60年1月にエンジン排気量を1Lから1.2Lにアップ。ダットサン・フェアレデーの車名が与えられ、輸出専用モデル(SPL212)として生産が続けられた。その後のSP/SR、S30フェアレディZと、国産スポーツカーの雄として、多くのファンを魅了したクルマであることは、皆がよく知っている。そんなフェアレディ各モデルを、個体それぞれが持つ「物語」と一緒に、振り返っていこう。

【Tales of the Fairlady】

>>【画像7枚】初代Zまでの外観など



1972年式 日産 フェアレディ 240ZG
 イメージカラーであるマルーンをまとったフェアレディ240ZG。S30 系Zの中でも、Z432と人気を二分するのがこの240ZGといえる。



1970年式 ダットサン 240Z 
 海外に輸出されていた旧車はさほど珍しくもないが、S30フェアレディZだけは別格の存在といっていい。なにしろアメリカという第2の故郷がなければ、このパッケージは誕生してなかったのだから……。



1969年式 日産 フェアレディ Z432
 1969年、S30型フェアレディZの最高峰グレードとして誕生したZ432。その心臓部に収まるのは、スカイラインGT‐R(PCG10)と同じS20型ユニットだ。「4バルブ、3キャブレター、ツインカム(2本)」という当時の最新メカニズムを採用していたことから、「432」と命名されている。



1969年式 日産 ダットサン フェアレディ 2000
 日本にスポーツカー時代の到来を告げただけではなく、世界でも注目された高性能スポーツカー、フェアレディ。 日産が初めて造ったスポーツカー、ダットサンスポーツをルーツとし、1960年にはじめてフェアレデーと命名されたSPL212が輸出専用モデルとして登場した。翌年にパワーアップしたフェアレデーSPL213を販売開始。輸出モデルということもあり、国内より海外で高い評価を得た。



1961年式 ダットサン フェアレデー 1200
 日産が戦後初のスポーツカーとして世に送り出したのが「ダットサンスポーツDC‐3」。1958年には、その後継モデルとして「ダットサンスポーツS211」が誕生した。シャシーやエンジンはダットサン210系から流用しているが、当時の新素材であるFRPボディを組み合わせたオープン4シーターとなった。ただし、わずか20台を生産しただけで、1960年1月にモデルチェンジし、SPL212が登場。型式のSPLの「L」は、レフトの意味を表しており、国内登録ができない左ハンドルの輸出専用モデルとなった。





日本の至宝、フェアレディ。誕生から初代Zまで
 スポーツカーの歴史を変えた名車がフェアレディである。今につながる最初の作品は、1958年秋の全日本自動車ショーに参考出品し、1959年6月に発売した4人乗りのダットサンスポーツだろう。型式はS211で、ダットサンセダン210のラダーフレームに日東紡製のFRP(グラスファイバー強化プラスチック)ボディをかぶせていた。エンジンは排気量988ccのC型直列4気筒OHVだ。



オリジナルS30系フェアレディZ 前期・中期・後期の違い
 初代ZにはZ432や240Zもあるが、ここではL20型エンジン搭載の2シーターのS30に絞って話をしよう。S30は1969年から1973年までの前期、1973年から1975年までの中期、1975年から生産終了となる1978年を後期(S31)に分けることができる。その間にも細かなマイナーチェンジはあるが、すべてを追うにはページが足りないので、ひとまずこの3タイプを考察したい。

初出:ノスタルジックヒーロー 2016年10月号 vol.177(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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