【日本の至宝、フェアレディ。誕生から初代Zまで Vol.1】フェアレデー、フェアレディの時代。

1960年1月:初代フェアレデーSPL212誕生から、1967年3月:フェアレディ2000(SR311)まで。

       
フェアレディという車名は、日産のスポーツカーの名前として、今なお、さん然と輝いている。そのルーツは、1959年6月に登場したダットサン・スポーツ(S211)にさかのぼる。翌60年1月にエンジン排気量を1Lから1.2Lにアップ。ダットサン・フェアレデーの車名が与えられ、輸出専用モデル(SPL212)として生産が続けられた。その後のSP/SR、S30フェアレディZと、国産スポーツカーの雄として、多くのファンを魅了したクルマであることは、皆がよく知っている。そんなフェアレディ各モデルを、個体それぞれが持つ「物語」と一緒に、振り返っていこう。

【日本の至宝、フェアレディ。誕生から初代Zまで Vol.1】

 スポーツカーの歴史を変えた名車がフェアレディである。今につながる最初の作品は、1958年秋の全日本自動車ショーに参考出品し、1959年6月に発売した4人乗りのダットサンスポーツだろう。型式はS211で、ダットサンセダン210のラダーフレームに日東紡製のFRP(グラスファイバー強化プラスチック)ボディをかぶせていた。エンジンは排気量988ccのC型直列4気筒OHVだ。

 発売前の3月にロサンゼルス輸入車ショーに参考出品したが、評判がよかったため左ハンドル車も開発した。翌1960年1月、進化型のSPL212が登場する。一般的な鉄鋼板ボディを採用し、エンジンはブルーバード310から譲り受けた1189ccのE型4気筒OHVだ。このSPL212は「フェアレデー」を名乗り、すぐに「フェアレディ」となった。10月には最終型のSPL213へと発展している。

 2代目のフェアレディがベールを脱ぐのは1961年10月の第8回全日本自動車ショーの日産ブースだ。1年後の1962年10月、フェアレディ1500は正式発売された。型式はSP310で、ブルーバードのラダーフレームにセドリックのG型直列4気筒OHV1488ccエンジンを組み合わせている。デビューしたときは3人乗りだった。

 1963年6月、待望のSUツインキャブ仕様となり、1964年には2シーター化された。1595ccのR型エンジンを積むフェアレディ1600に進化するのは1965年5月だ。型式はSP311で、4月に発売されたシルビア(CSP311)とは兄弟関係にある。1967年3月には最強のフェアレディ2000(SR311)を仲間に加えた。

>>【画像10枚】1969年10月誕生の初代「Z」シリーズ誕生、フェアレディZ 432(PS30)など、その誕生から初代Zまで

1960年1月 初代フェアレデーSPL212誕生

海外で使うためにボディをFRPから鉄鋼板に変え、左ハンドルとしたSPL212。川又克二社長がフェアレデーと命名した。エンジンは1189ccのE型だ。殿内製作所が288台を生産。



1960年10月 マイナーチェンジ フェアレデー1200(SPL213)


シャシーをU223に変更し、E型エンジンは進化型のE1型になって60psにパワーアップ。SPLの「L」はLEFT HAND DRIVEを指す。そのほとんどがアメリカに。



1962年10月 2代目へモデルチェンジ フェアレディ1500(SP310)


本格派の道を歩み始める。SUタイプのシングルキャブ仕様は最高速度150km/h、ゼロヨン加速20.2秒をマーク。63年にSUツインキャブを採用し、さらに俊足になる。



1965年5月 フェアレディ1600(写真はSPL311)


F770メタル採用のR型4気筒OHVにポルシェシンクロの4速MTを組み合わせた。最高速度は165km/h、ゼロヨン加速は17.6秒に。前輪にディスクブレーキも採用した。



1967年3月 フェアレディ2000(SR311)


フェアレディ初のSOHCとなるU20型4気筒エンジンにソレックス44PHHキャブを2連装し、145ps/18.0kg-mを発生。5速MTを採用してゼロヨン加速は15.4秒だ。


【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2016年10月号 vol.177(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日本の至宝、フェアレディ。誕生から初代Zまで(全2記事)

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text & photo : NOSTALGIC HERO/編集部 COOPERATION:MIZUKAMI AUTO/水上自動車工業

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