ジャッキー・イクス自らステアリングを握り富士スピードウェイをデモラン。約40年前によく見た光景を日本で再び!|国内モータースポーツの隆盛 第16回【5】

936のコクピットでスタンバイするイクス。936でル・マン3勝をマークしているだけにイクスにとっては思い出深いレーシングポルシェの1台だろう。改めてイクスの功績を思い知る

【4】から続く

ポルシェの伝説「ジャッキー・イクス」が今の富士スピードウェイへ、2台のポルシェを連れて訪れた。イクスは、ル・マン6勝の他に、ガルフミラージュ、フォードGT40などポルシェで賞レースを優勝した、生ける伝説の方だ。

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ポルシェの伝説「J・イクス」 31年ぶりに956で富士を走る

 時間軸をさかのぼること35年から40年。改めて、もうそんなに昔のことなのかと思わせるが、車両を目の前にすると、古さが感じられない。この時代、すでに近代レーシングカーの基盤が確立されていたためだろう。激動、激変した60年代のレーシングカーとは明らかに異なる時代背景だ。

 それにしても、かつてはル・マンやマニュファクチャラーズ選手権で勝ち星を積み重ねた車両が、主人公のイクスと共に、時間の流れを超えて現代の富士スピードウェイに現れるのは、なにかとても不思議、奇異な印象を受けてしまう。とくに956-005は、83年の富士WECでイクス/デレック・ベル組が走らせ2位となった車両だ。

 まったく非現実的であり得ない話だが、考古学の発掘のように細かく富士スピードウェイを探索していけば、34年前にこの車両が残した痕跡が見つかるのではないか、そんな思いがわき上がる光景だった。

 83年当時、富士スピードウェイのピットはコンクリートブロック、木製の角柱、スレートの屋根で作られた粗末なものだった。しかし、富士に限らず鈴鹿も似たような設備環境で、とくに貧相だという印象はなかった。今風の「ピットガレージ」が普及し始めるのは90年代に入ってからのことだ。

 その殺風景なピットと最先端の自動車テクノロジーを凝縮したグループCカー956の対比は、今見れば相当な違和感になるはずだ。逆に、現代のピットに置かれた956は、その機能美が違和感なくマッチしていた。こうした思いで、くつろぎながら出番を待つイクスを見ていると、人間に対してだけ時の流れは正直だった、と思い知らされてしまう。

 ツーリングカーからF2を経て、F1に上がった頃のイクスは、ベルギーの天才少年レーサー、と言われる注目株だった。フェラーリ、ブラバムと移籍したチームに必ず白星をもたらすラッキーボーイぶりを発揮。71年、ジャッキー・スチュワートのF1タイトル獲得に真正面から挑み、徹底抗戦したのもイクスだった。

 そのイクス、60~70年代のスポーツカーレースはフォード、フェラーリに属し、ポルシェにとって最もやっかいなドライバーとして君臨。908で念願の初優勝を期した69年のル・マンで、ポルシェの夢を打ち砕いたのもイクスだった。その最強のドライバーが、F1を退きスポーツカーレースに専念する際、パートナーとして選んだ相手がポルシェだった。

 勝つために計画的、合理的にプロジェクトを展開し、理に適えば大胆かつ実直に行動するポルシェの姿勢に信頼が置けたのだろう。936、935、956によるスポーツカーレース活動に加え、959によるパリ~ダカールラリーでの活躍と、イクスがポルシェに残した功績はあまりに大きかった。

 そんなイクスが、数あるレーシングポルシェの中でも深いかかわりを持つ2台と富士で再会。何気ないようでいて、歴史の栄光と重みを再確認する味わい深い光景だった。
【画像20枚】日本では実践経験のない936。それだけに日本のファンにとっては馴染みのないモデルで富士を走る姿は貴重なシーンと言えるだろうか。しかもドライバーはイクスだ



>>ダンロップコーナーを抜けるイクスの956。歴史を振り返れば世界中のサーキットでこうした光景が何度となく繰り返されてきた。約40年前、まさにこの車両で走った。1983年富士WECを彷彿とさせるシーンだ。

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国内モータースポーツの隆盛 第16回(全5記事)
初出:ハチマルヒーロー 2017年9月号 Vol.43

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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TEXT:AKIHIKO OUCHI/大内明彦 COOPERATION:Fuji International Speedway Co.,Ltd./富士スピードウェイ

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