ポルシェ956を世に知らしめたドライバー、ジャッキー・イクスさんが2台のポルシェを連れて富士スピードウェイに現れた|国内モータースポーツの隆盛 第16回【4】

ポルシェ956の存在を世に知らしめたドライバー、ジャッキー・イクスさん

【3】から続く

国内のプライベーターで、「ポルシェ956」を導入したトラストは国内勢最強と呼ばれていた。そして世界と対戦した1983年富士WECでは3位でフィニッシュしたが、前2台のポルシェ956との差は6周。25kmの差をつけられてのゴールだった。

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ポルシェの伝説「J・イクス」 31年ぶりに956で富士を走る


 ポルシェ956の存在を世に知らしめ、956マイスターとして君臨したドライバーがジャッキー・イクスだ。

 イクスといえば、ル・マン通算6勝のレコードホルダーとして世界に名を馳せたが(その後トム・クリステンセンが9勝したことは有名だが)、実は956によるル・マン制覇は1度だけ。他は936で3度(76、77、81年)、ガルフミラージュ(75年)、フォードGT40(69年)の内訳だ。

 とくに1勝目となる69年は「レースは24時間もある」と達観し、全ドライバーが血眼になってクルマに駆け寄るル・マン式スタートの中で、1人悠然と歩いてGT40に乗り込み、結果的に先頭でゴールラインを横切ったエピソードはよく知られている。

 そのイクスが、2台のレーシングポルシェと共に富士スピードウェイに現れた。しかも、イクス自らステアリングを握ってのデモラン、という演出だった。

 2台は、いずれもポルシェAG所有の車両で、1台は77年仕様のグループ6カー936、もう1台は83年型の956が持ち込まれた。

 マルティニカラーの936は、77年ル・マン優勝のカーナンバー④をつけた936/77仕様として仕上げられていたが、シリアルナンバーは936-002で、この個体自体は76年のル・マン優勝車、ジャッキー・イクス/ガイス・ファン・レンネップ組の⑳号車そのものとなる。

 この個体、77年は(外観は77年仕様車だが)ル・マンの1戦のみ(③号車=リタイア)、78年もル・マンの1戦のみ(⑦号車=3位)の使用となり、合計8レースで1位5回、3位2回、リタイア1回という華々しい戦績を残す来歴の車両である。

 もう1台の956は83年製造の956-005で、83年シーズンに9戦、84年シーズンに1戦だけ使われた車両だ。83年はゼッケン①をつけイクス/マス組のエース車両として2勝(ニュルブルクリンク、スパ)を記録。十分立派な戦績だが、イクス/マス組ならばもう少し勝ち星が多くても……、と欲張った気にさせられる。

 なお、956はワークス用が00番台、カスタマー用が100番台のシリアルナンバーで区別され、ワークス用として9台(001~010、006は欠番)が作られている。

 ちなみに、956の発展型となる962C(962はIMSA仕様)は、956のセンターモノコックを延長してペダルボックスをホイールベース内側に収める構造で、安全規定の改定に従うモデルだった。両者はハンドリングやシャシー特性に若干の差異はあるものの、基本的には同系列と見なせる車両同士だ。
【画像20枚】テストランの待ち時間をピット裏でくつろぐジャッキー・イクス。フランクな性格でよくジョークを飛ばす人物だ




>>現代の富士スピードウェイに現れたジャッキー・イクスと2台のレーシングポルシェ、936と956。

【5】へ続く

国内モータースポーツの隆盛 第16回(全5記事)
初出:ハチマルヒーロー 2017年9月号 Vol.43

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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TEXT:AKIHIKO OUCHI/大内明彦 COOPERATION:Fuji International Speedway Co.,Ltd./富士スピードウェイ

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