なんとか形をつけた7代目スカイラインはシリーズタイトルを獲得。リアルタイムでの活躍に向け、日産は新型スカイラインの開発に着手した|国内モータースポーツの隆盛 特別編【1】

満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。

       
80年代、自他共に認める「レースの日産」は、グループA/Cとメーカーの真価が問われるレースで苦境に立たされていた。とくにメーカーの看板を背負う量産車ベースのグループAは、R30・RSターボ、R31・GTS-Rが大苦戦。だからこそ満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。

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7thスカイラインに追加されたグループAエボリューションモデルのGTS-Rは、振り返れば暫定モデル、打つ手に窮した日産の苦肉の策だった。しかし、1年に満たない開発期間でなんとか形をつけ、89年にはシエラを倒してシリーズタイトル(長谷見昌弘)を獲得したことは、予想以上の結果と言ってよかった。

実際のところ、GTS-Rの企画が持ち上がったタイミングと前後して、新型スカイライン(R32)のレースベース車両の開発が始まった。これがGT-Rで、R32が市場に登場した89年5月の段階では、すでにレース仕様車の開発が着々と進められていた(GT-Rの発売は89年8月)。

これまでR30、R31によるレース活動が、市販車の発売時期から2年ほどずれていたことに対し、R32ではリアルタイムの活動を目指していた。要は、市販スカイラインがR31であるにもかかわらず、レースカーはすでに生産の終了した旧型R30という不整合である。この状況は、メーカー規模のレース活動を展開するうえで、意味がないばかりか逆効果になりかねない恐れすらあった。

【画像5枚】市販スカイラインがR31であるのに対し、レースカーがR30であるという不整合。リアルタイムでサーキットを走るスカイラインの登場が待たれた。




【2】へ続く


初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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TEXT : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 PHOTO : RYOTA SATO/佐藤亮太

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