「スカイラインは、光り輝く存在でなくてはいけない」R32スカイライン開発主管・伊藤修令スペシャルインタビュー

R32スカイラインの開発主管を務めた伊藤修令さんと、今も乗り続けている愛車のR32スカイラインGT-R

       


最終的には、DOHC4バルブターボにまで発展した史上最強のスカイラインは、まさに技術の日産、性能のスカイラインを象徴するモデルだった。

この狙いは見事に当たったが、この頃から強力なライバルが立ちはだかることになる。新エンジン1G‐G型を搭載するトヨタのマークⅡ/チェイサー/クレスタの連合軍だった。
「ハイオーナーカークラスのモデルを3車種揃え、異なる車両性格とすることで、幅広いユーザー層に対応したあたりは、いかにも販売戦略に長けたトヨタらしい商品企画でした。そして、これがヒットするわけです」

「私が思い描き、抱き続けてきたスカイライン像ではなかった」


この時点で、スカイラインは独自のポジションにあり、長い歴史に支えられた強いブランド力を持っていた。このスカイラインとローレルで共闘を組めば、マークⅡ連合軍と十分以上に戦えたはずである。

「ところが、日産はスカイラインにラグジュアリー性、コンフォート性を求めてしまった。スカイラインに居住性能やユーティリティー性を与えることで、マークⅡ連合軍の市場を切り崩せるだろうと読んだのですね。これが7thスカイライン(R31)でした」

>>1985年に登場したR31系スカイライン。プリンス自動車時代から通算して7代目にあたるため、「7th(セブンス)スカイライン」とも呼ばれた。

伊藤さんがスカイラインの主査として着任したのは、R31が発表される半年前のタイミングだった。この時期は最終仕上げの段階で、基本領域に関して手を付けられる余地は皆無。

「これは違う、違うなと。私が思い描き、抱き続けてきたスカイライン像ではなかった。むしろ、その逆でした」

text: AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo: RYOTA SATO/佐藤亮太

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