グループA到来【2】基本公認台数の1割500台の特例。奥の手、エボリューションモデルの登場|国内モータースポーツの隆盛 第9回

1987年のインターTECに遠征してきたM3はワークスBMW、シュニッツァーの2台だった。それぞれ3、4位入賞。写真の46号車は3位入賞のエマニュエル・ピロ/ロベルト・ラバーリア組。トランピオシエラとはわずか16秒差だった。

       
ボルボ240、ジャガーXJS、ローバーヴィテスと、何の変哲もない乗用車に史上最強のメカニズムを持つ日本車はことごとく歯が立たなかった。使用パーツの追加公認システムが成せるワザだったが、1987年、これらの車両がいきなり勝てなくなった。その理由とは?

【 国内モータースポーツの隆盛 第9回 量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの到来:奥の手、エボリューションモデルの登場 Vol.2】

【1】から続く

 グループAへの参戦を決め、車両ラインナップの中からレースで使えそうなモデルを選び、変更が許されるパーツの公認を取得して戦う。これがグループA発足初期、言い換えればグループA第1期と見ることができる。

 しかし、当然ながらこの手法に頼った車両より、さらに戦闘力の高い車両を準備できることは早い段階から分かっていたが、現実問題、なかなか実行はむずかしかった。グループAツーリングカーとして必要なメカニズム、構造を量産車の段階から盛り込んでおく車両作りだが、生産コストと販売リスクを負うだけに、メーカーとしてはなかなか勇気のいる商品企画である。

 逆に、どのメーカーが最初に手がけるかが注視されるなかで、最初に動いたのがヨーロッパフォードだった。意外にも生粋のヨーロッパメーカーではなかったが、ヨーロッパ市場への新規参入にあたりモータースポーツを活用した過去があるだけに、事情を知る人にとっては特に違和感はなかった。

 フォードが準備した車両はシエラコスワースRS。ネーミングから分かるように、コスワースエンジン(YBD型ターボ)を積み、駆動系やボディ/シャシーの要所にグループA対策を施したシエラの1バリエーションとして1986年に作られた。
 グループA車両の公認取得条件は、連続した12か月の間に5000台以上の生産だったが、特例として派生車種が設けられ、基本公認台数の1割(500台)以上を生産すれば公認されるという条項が設けられていた。これがエボリューション(正常進化)モデルでグループBでも適用されていた。

 そしてもう1社、フォードと同時期にエボリシューションモデルを手がけたメーカーがあった。E30系3シリーズをベースにM3を登場させたBMWである。自他共にツーリングカーレースの第一人者を認めるBMWにとって、グループAは引くことのできないカテゴリーだった。選択クラスは1600~2500ccと中間排気量の2クラスだったが、シリーズタイトルがクラス成績で決まるETCの規定を巧みに突く車種選定で、その後の展開はBMWの読みどおりとなっていた。


>>【画像14枚】シエラ同様BMW・M3もまたプライベーターのベストセラーに。日本ではメーカー不在、目立った強豪のいない2クラスだっただけに、登場と同時にM3によるワンメイク化が一気に進んでいった




【3】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2016年 5月号 vol.35
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの到来2:奥の手、エボリューションモデルの登場(全4記事)

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【1】から続く

text & photo : AKIHIKO OUCHI / 大内明彦

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