グループA到来【1】「たかが乗用車」の前に敗退する4バルブDOHC、ターボの日本車勢|国内モータースポーツの隆盛 第9回

1987年、フォードシエラは登場すると同時にトップコンテンダーに。これを見たプライベーターは続々とシエラを購入。ダンロップシミズ・シエラにアランモファット車(1988インターTECより)。

       
ボルボ240、ジャガーXJS、ローバーヴィテスと、何の変哲もない乗用車に史上最強のメカニズムを持つ日本車はことごとく歯が立たなかった。使用パーツの追加公認システムが成せるワザだったが、1987年、これらの車両がいきなり勝てなくなった。その理由とは?

【 国内モータースポーツの隆盛 第9回 量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの到来:奥の手、エボリューションモデルの登場 Vol.1】

 とにかく、1985年のインターTECは衝撃以外の何物でもなかった。「たかが乗用車」の前に、4バルブDOHC、ターボとハイスペック自慢の日本車勢がことごとく敗退。それも大差、まったく勝負にならなかったのだから、衝撃を通り越して呆然自失と言ったほうがよかった。

 本来、生産車の基本性能、基本メカニズムで戦うグループA規定下にあって、どう見てもボルボやローバーヴィテスはレースに向く車両と言い難かったが、パーツの追加公認システムを巧みに活用することで、第一級のツーリングカーに生まれ変わっていた。

実際、日本車勢に欠けていたり足らなかったものは、改造が大きく制限されたグループA規定での戦術ノウハウや、レース仕様に耐える基本メカニズム/基本構造で、量産車としての基本性能や基本メカニズムは、決して見劣りするものではなかった。

 逆に言えば、グループA規定の実施(1982年)と同時にETC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)で参戦活動を展開していたヨーロッパ勢は、こうした面を熟知していたわけで、1985年からグループAを始めた日本勢がかなわないのも当然だった。


>>【画像14枚】何の変哲もない乗用車、ボルボ240、ジャガーXJS、ローバーヴィテスが日本車を歯牙にも掛けず先行する




>> 日本勢で最初にシエラを導入したのはトランピオチーム。1987年のインターTECでは2台のワークスシエラに互して2位入賞。長坂尚樹とコンビを組んだのはエッゲンバーカーと並びシエラチューナーとして知られるアンディ・ローズだった。




>> シエラ同様BMW・M3もまたプライベーターのベストセラーに。日本ではメーカー不在、目立った強豪のいない2クラスだっただけに、登場と同時にM3によるワンメイク化が一気に進んでいった。



【2】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2016年 5月号 vol.35
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの到来2:奥の手、エボリューションモデルの登場(全4記事)

関連記事:国内モータースポーツの隆盛

関連記事:エボリューションモデル

text & photo : AKIHIKO OUCHI / 大内明彦

RECOMMENDED

RELATED

RANKING