黒船の来襲からの再起【4】平凡なボルボが黒船となった大きな理由|量産車の性能で戦う「ハコ」の時代グループA|国内モータースポーツの隆盛

BTCCでグループA戦を経験していた三菱は、JTCの実施と同時にスタリオンターボを投入。強豪日産勢がグループAに着手したばかりということもあり、1985年シーズンは日本車の代表格として活躍。ただこの時点ですでに基本設計が古くなっていた

       
1982年、世界のモータースポーツ界は大きな転換点を迎えていた。
車両規定が大きく変わり、ツーリングカーレースは量産車の基本性能で戦うグループA規定が適用された。
折しも、日本は排ガス対策明けでハイメカ、性能自慢の量産車が覇を競う形で割拠していたが……。

【黒船の来襲、そして砕かれた自信からの再起  Vol.4】

【3】から続く

 ETCラウンドから招聘したワークスボルボ240Tの2台が、JTC最速、この年のチャンピオンBMW635を足元に寄せ付けることもなく圧勝してしまった。BMWは善戦したがボルボとは7ラップの超大差。

 日本車勢は、BTCCで先行実績のあった三菱スタリオンが、かろうじてBMWと同ラップの4位に食い込んでいたが、それでもBMWにはラップ遅れにされる寸前だった。 これは関係者、ファンにとって衝撃的な出来事だった。どう見ても平凡な実用セダン、ターボとはいえ2.1LSOHCエンジンのボルボに、メカ自慢の日本車勢がことごとく大敗するという、あり得ない出来事が起きてしまったのである。

 まさに黒船の来襲。平凡なボルボがなぜこれほどに強かったのか?

 この疑問はすぐに氷解することになる。グループA規定は、量産車の基本メカニズムで戦うことを前提としていたが、幅広くエントラントを募ることも視野に入れたため、レースに不向きな車両を持つメーカーでも参戦できるよう、使用パーツの追加公認制度が設けられていた。本来の目的は救済策だが、この制度を積極利用することで性能の引き上げが可能だったのだ。

 ジャガーXJ‐S、ローバー・ヴィテス、ホールデン・コモドアもこの手法でレース車としての戦闘力を備えていた。当然、日本車勢もこの手法にならうことになるのだが、本家のヨーロッパではさらに1歩進んだ領域に足を踏み入れていた。


>>【画像14枚】カーナンバー22と23のランデブー走行。その後のJGTCスカイラインGT-Rでもおなじみとなったニスモ編隊。この当時は車両開発も兼ねベテラン/中堅ドライバーの登用による参戦体制を組んでいた。4バルブDOHCターボのハイメカニズムに期待は集まったが……



>> 1985年のインターTECより。日産ゼッケン23をつけるスカイラインRSターボはニスモカー。この車両を操ったのは長谷見昌弘/鈴木亜久里のコンビ。その後しばらくニスモカーの位置付けは開発車両としての意味合いが強かった。



初出:ハチマルヒーロー 2016年 3月号 vol.34
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

量産車の性能で戦う「ハコ」の時代グループA【1】|黒船の来襲、そして砕かれた自信からの再起 (全4記事)

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【1】【2】【3】から続く

text & photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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