黒船の来襲からの再起【3】ETCラウンドではカローラGT、JTCシリーズでは30スカイライン、60スープラ、スタリオンが活躍|量産車の性能で戦う「ハコ」の時代グループA|国内モータースポーツの隆盛

日産は2クラスにシルビアを投入。と言ってもワークス体制ではなくニスモとプライベーターによるジョイントプロジェクトとして展開。上限2.5Lのクラスに2L車の投入という車種構成の手薄さが惜しまれる参戦だった。

       
1982年、世界のモータースポーツ界は大きな転換点を迎えていた。
車両規定が大きく変わり、ツーリングカーレースは量産車の基本性能で戦うグループA規定が適用された。
折しも、日本は排ガス対策明けでハイメカ、性能自慢の量産車が覇を競う形で割拠していたが……。

【 黒船の来襲、そして砕かれた自信からの再起  Vol.3】

【2】から続く

 さて、ここからが本題だが、日本でグループA規定が導入されたのはヨーロッパから3年遅れた1985年のことだった。グループCは1年遅れとタイムラグはなかったが、グループAが3年も遅れたのは、メーカーも含めた国内の参戦体制が十分に整っていなかったからである。

 1980年代中盤の日本のモータリゼーション事情は、排ガス対策後に相次いで登場した高性能メカ搭載車が1クールを経て第二世代へ突入し、メーカー間の性能競争が激化の度を増す真っ最中にあった。量産車のノーマルメカニズムで戦うグループAの基本理念は、当時の日本車にとって「渡りに船」と見えていた。

 実際、1982年に始まるETCラウンドでは、クラス1(1600cc以下)で4バルブDOHCを積むカローラGT(AE86)が、アルファロメオやVWを相手に、優位なポジションに立ってレースを進めていた。カローラの優位性はJTC発足時にも明らかとなり、開幕の菅生戦では最小排気量クラスながら総合1位でゴールラインを横切る優秀性を示していた。

 JTCシリーズ全体の流れは、スカイラインRSターボ(DR30)、トヨタスープラ(60系)、三菱スタリオンの日本車勢と完成度で先行するBMW635の対決図式で展開。日本車勢は実戦を積み重ねながら熟成を図る状態で、BMW(1985年のJTCタイトル獲得)をなんとか射程に捉えるところまでが精一杯だった。


>>【画像14枚】ETCでは立ち上がりの早かったトヨタだが、JTCでも1クラスにAE86、3クラスにセリカXX(スープラ)を投入。いずれもETCを経験している車両で期待を持たれたが結果は好対照。60系セリカXXは結果を残せなかった


 それでも、参戦初年度の戦いぶりとして見ればそれほど悲観したものではなく、むしろ次シーズンの成長が期待できる内容と受け取ることもできた。しかし、シリーズ最終戦として開かれた富士インターTECで、これが根拠のない楽観的な見通しだったことを思い知らされることになる。



>> 1985年のJTC発足と同時に導入されたBMW635。エントラントが扱うチューナー「ハルトゲ」の名を冠しての登場だが、車両開発はBMW/シュニッツァーが手掛けたもので前年の1984年、ETCでプライベーターの基幹車種として活躍した。




>> JTC発足当初1600~2500ccの2クラスは無風状態、というより有力な車両が存在しなかった。メーカー系不在、プライベーターにとっては狙い目のクラスに登場したメルセデス・ベンツ190E2.3-16。フランスのスノーベックレーシングが持ち込んだ。






【4】に続く


初出:ハチマルヒーロー 2016年 3月号 vol.34
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

量産車の性能で戦う「ハコ」の時代グループA【1】|黒船の来襲、そして砕かれた自信からの再起 (全4記事)

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【1】【2】から続く

text & photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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