3代目ハコスカ、4代目ケンメリ。人気モデルとして、トップに君臨し続けるスカイライン。My Dearest Skyline|親愛なるスカイライン

特集「親愛なるスカイライン」その記事たちをまとめました。

【親愛なるスカイライン】

 国産旧車の人気モデルとして、トップに君臨し続けるスカイライン。3代目ハコスカ、4代目ケンメリはノスタルジックヒーロー本誌に登場する機会も多いが、それは読者からの掲載リクエストにこたえているからに他ならない。人気モデルゆえに、現役のオーナーたちがクルマに注ぐ愛情も半端ない。特集では、極上コンディションを保つ選りすぐりのオーナー車両4台と、本誌171号にリポートを掲載、話題となったアメリカ・グレートレースに参加したハコスカGT-Rを紹介する。たっぷりとお楽しみいただきたい。

KPGC10。ハードトップとなって覚醒した狼

サーキットで常勝を誇ったスカイライン2000GT‐Bの後継として開発され、GT‐B以上に輝かしい戦績を残したのが2000GT‐Rだ。レースで勝つことを第一に考え、GT‐R専用のエンジンを開発し、ハンドリングとフットワークにもこだわった。最初に登場したのは、ロングノーズの4ドアセダンボディのPGC10だ。


1972年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT-R(KPGC10)


珍しいAT仕様のハコスカはお父さんからのプレゼント!!

珍しいAT仕様のハコスカは、お父さんからのプレゼント。某ディーラーのサービス部門で、整備士として働いているオーナー。お父さんも整備士で、旧車好き。そのDNAをしっかり受け継いでいる。


1969年式 日産 スカイライン 2000 GT-R(PPGC10)


父の思い出のハコスカGT-Rを再び

1968年10月に開催された第15回東京モーターショー。高度成長期最後の好景気である、いざなぎ景気の最中に開催された日本最大のカーショーで、プリンスと合併した日産が初めて開発、生産したスカイラインであるC10が展示されたショーとしても歴史的意味のある催しだった。


1971年式 日産 スカイライン 2000 GT(GC10)


「ケンメリといえばブルー」110スカイラインのボディ色には、カタログ上で4種類のブルーが存在する

最愛の車として、C110スカイラインを乗り継いでいるオーナー。その3台目となるハードトップはブルーのボディをまとっていた。


1975年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT-X(KGC10)


現地のクラシックカーファンから大きな注目を浴び、アメリカを駆け抜けたニッポンのハコスカ

アメリカ中西部の町、ミズーリ州セントルイス郡カークウッド。2015年6月20日、日本から海を渡り、ハコスカGT-Rがこの地に現れた。グレートレースへ参加するためである。グレートアメリカンレースとも呼ばれるこのレースは、1983年からはじまったヒストリックカーによるラリーイベントだ。1965年公開の同名の映画に影響を受けた、アメリカのマニアたちが初回を開催し、2015年は25回目を数える記念大会であった。


1970年式 日産 スカイライン 2000 GT-R(PGC10)


2015グレートレース参戦、BINGO SPORTS女子メカニック奮闘記

先行して配信した別記事にて紹介したスカイライン2000GT-R、アメリカ横断レースを支えたスタッフの内の1人、伊藤有希さんは26歳の若き女子メカニック。クルマ好きだった学生時代、倍近くも年の離れたハコスカへの感想、グレートレースの思い出、そしてモータースポーツへの思いを語ってもらった。


2015グレートレース参戦、BINGO SPORTS女子メカニック奮闘記


スカイラインに直列6気筒エンジンが積まれるのは、ちょっとした運命のいたずらだった

スカイラインといえば、ハコスカGT-Rに代表される6気筒スポーツモデルが頭に浮かぶが、S50の時代までは4気筒が主役だった。もし第1回日本グランプリの惨敗がなければ、スカイラインは違った道を進んでいたのかもしれない。


スカイラインは4気筒か6気筒か?


初出:Nostalgic Hero 2016年 2月号 vol.17(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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