2015グレートレース参戦、BINGO SPORTS女子メカニック奮闘記 〜2016〜|1970年式 日産 スカイライン 2000 GT-R Vol.1

アメリカ中西部の町カークウッドから、西海岸サンタモニカまで、ヒストリックルート66を9日間で走り抜けた2015年のグレートレース。

       
先行して配信した別記事にて紹介したスカイライン2000GT-R、2015年に参戦となったアメリカ横断レースを支えたスタッフの内の1人、伊藤有希さんは26歳の若き女子メカニック。クルマ好きだった学生時代、倍近くも年の離れたハコスカへの感想、グレートレースの思い出、そしてモータースポーツへの思いを語ってもらった。

【1970年式 日産 スカイライン 2000 GT-R Vol.1】

 ビンゴスポーツの2015年グレートレース参戦プロジェクト。ドライバーの武井真司社長、コドライバーの西川淳さんの参戦記は、本誌2015年10月号に西川さんのリポートでお届けした通りだが、今回は4人のサポートメカニックの1人、伊藤有希さんのインタビューをお届けしたいと思う。

「中学生の頃とか、プジョーがかわいいなって思って、資料を取り寄せて読んでたら、となりの女の子がファッション雑誌を読んでて、ああ、それが普通なんだなって」と笑う伊藤さんはクルマ好きの女性メカニック。ビンゴスポーツのレースメカとして、ポルシェカレラカップやロードスターレースなど、レースシーズンは朝から夜まで忙しく働く。このグレートレースにも、準備段階から関わり、アメリカでの9日間のレースをメカニック、通訳として支えた。

 レース以外、給油の移動などで伊藤さんもこのハコスカをドライブしたという。アメリカでの日本車人気は高く、「ちょっと走ってたら、バイクの男の子とか、カメラ持って追っかけてくるんですよ。ナイス! って言って走り去ったりとか、注目度が高かったですね」

▶▶▶【画像12枚】カークウッドにて。「スタート地点はすごいお祭りみたいな感じで、こんなに人がいるのかってくらい、見渡す限りの人でした」。ハコスカの注目度は高かったというスタートの模様など



アメリカのガソリンスタンドでの給油「オクタン価が日本のハイオクよりも低いんです。なのでオクタン価を足すような物を買って、足して走らせました」





サポートカーにて。「一番大変だったのは、その日のゴールが分からないことでした」サポートもゴール地は知らされていないのだ。


【2】に続く

初出:Nostalgic Hero 2016年 2月号 vol.173(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1970年式 日産 スカイライン 2000 GT-R(全3記事)

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Photo : KAZUHISA MASUDA/益田和久

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