MAZDA757/767【5】ポルシェ、日産、トヨタのグループCカーに混じりコンスタントに結果を残し、総合優勝を狙えるクラスに

1988年の富士500㎞を走る757E。前年のJSPC最終戦に登場した4ローター13J型エンジン搭載モデルで、500㎞直後には757を発展させた767が登場。独特のロータリーサウンドはさらに甲高くなりジェットエンジンを彷彿とさせるほどだった。

日本の自動車メーカーにとって「ル・マン」は大きなあこがれ、目標だった。まだ、世界の頂点すら見えない時代から、いつかはル・マンの思いを抱き続けてきた。そしてその思いを諦めることなく、自分たちの力で出来る範囲で追い続けてきたのがマツダスピードとマツダだった。1973年に始まるル・マンへの挑戦、その転換点はマルチローター化だった。

【MAZDA757/767 Vol.5】

なお、757は正確に言えばグループC規定ではなくIMSA‐GTPカテゴリー枠を選択。最低車両重量などIMSA-GTP規定のほうが有利だったからだ。と言うより、自然吸気のロータリーエンジン車で、あえてグループC1規定を選ぶ理由がなかった。ただし、国内レースはグループCカテゴリーで出走。IMSAクラスの設定がなかったためである。

757は、国内耐久(全日本スポーツプロトタイプカー選手権=JSPC)では、パワーで勝るポルシェ、日産、トヨタのグループCカーに混じりコンスタントにクラス中団の位置を確保。86年、87年と参戦した2度のル・マンでは、2年目となる87年に総合7位(当時日本車の最上位成績)、IMSA‐GTPクラス優勝と文句のない結果を残した。

450psのグループCカー(IMSA‐GTPカー)と見れば、大成功を収めた車両と言えたが、単純に総合順位として見れば、まだ勝敗には絡めない車両と言うこともできた。

757については、それまでクラス優勝しか狙えないところで活動していたマツダが、不十分とは言え、総合優勝を狙えるクラスに足を踏み入れ、性能相応の走りを発揮して実績を残したことに意義のある車両、と評価することができた。
【画像14枚】日本の自動車メーカーの夢でもあった「ル・マン」挑戦の転換点となったマツダ

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【6】へ続く

初出:ハチマルヒーロー vol.044 2017年11月号
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

MAZDA757/767(全7記事)

TEXT : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 COOPERATION : Fuji International Speedway Co.,Ltd. / 富士スピードウェイ

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