MAZDA757/767【4】ついにC1クラスに挑戦! しかしCカー王者と比べるとまだまだ非力な印象のマシンだった

スポンサードはタバコブランドのラッキーストライク。1986年の富士500㎞に登場した2台の757。3ローター化によって甲高い排気音に変ぼう。ポルシェ956のデザイン、車両コンプトにならうかたちだった。

日本の自動車メーカーにとって「ル・マン」は大きなあこがれ、目標だった。まだ、世界の頂点すら見えない時代から、いつかはル・マンの思いを抱き続けてきた。そしてその思いを諦めることなく、自分たちの力で出来る範囲で追い続けてきたのがマツダスピードとマツダだった。1973年に始まるル・マンへの挑戦、その転換点はマルチローター化だった。

【MAZDA757/767 Vol.4】

折しも時代はバブル経済真っ盛り。好況を追い風に企業は軒並み積極的な成長策を採用。C2クラスで一定以上の成績を収めたマツダが、総合順位を争うC1クラスを目指したのは、むしろ自然の成り行きだった。

マツダは、2ローターの13B型にさらに1ローターを追加する3ローターの13G型を新規に開発。1ローターあたり150psと言われるエンジンは、3ローター化によって450psを発生。13B型に対して一気に5割増しのパワースペックとなったが、すでに82年の登場時点でレースブースト620psと言われたCカーの王者ポルシェ956の935/82型エンジンに比べると非力な印象は拭えなかった。

シャシー設計は、後の787系まで手掛けるナイジェル・ストラウドが担当。85年時点での作業だったため、まだアルミモノコック構造を採用。ただしモノコックパネルにはハニカム材を使用。

ストラウドは、後にリチャード・ロイド・レーシングのカスタマイズドポルシェ962Cのデザイナーとしても知られる人物だ。カウルデザインは、70年代初頭に富士GC用のロータリースポーツ「MANA」を設計した三村建治が担当。シャシー/カウルともポルシェ956/962を模したデザインであることは自他共に認めるところだった。
【画像14枚】日本の自動車メーカーの夢でもあった「ル・マン」挑戦の転換点となったマツダ


>>1986年の富士WECでコースインを待つ757。C2時代とは異なり、内外のCカーに混じっても存在感のある容姿を披露。これから先の可能性を予感させる光景だった。

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【5】へ続く

初出:ハチマルヒーロー vol.044 2017年11月号
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

MAZDA757/767(全5記事)

TEXT : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 COOPERATION : Fuji International Speedway Co.,Ltd. / 富士スピードウェイ

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