異国の地で出合った国産車と日本人オーナー「ユキ」の話|1986年式 スバル ブラット【1】

モノコック構造を持つピックアップのため後ろ姿が非常に特徴的。さらにもし荷台に人が、しかも後ろ向きに座っていたら、後続のクルマから見ると結構驚くかもしれない

       
日本のメーカー製のクルマでありながら、日本国内では販売されない、いわゆる海外専売のクルマは少なくない。富士重工業が1977年に初代、81年に2代目を発売したスバル・ブラットもその中の1台だ。そんな日本で生まれて北米で販売されたピックアップと、日本生まれでアメリカに移住したクルマ好きがオークランドで出合った。

【アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第50回 1986年式 スバル ブラット vol.1】

人とクルマの関係は時に数奇だ。趣味に過ぎなかったはずのクルマが、のめり込んだばかりにオーナーの人生を左右していく。

カリフォルニア州オークランド市。湾に面した工業港があり、奥に丘陵地の広がる景色はどこか日本の神戸を思わせる。そんな街にスバル・ブラットを愛用する日本人オーナーがいた。仲間から「ユキ」の愛称で呼ばれる。

茨城県日立市出身のユキさんは東京の商社に就職するも、都会を拒否するかのように1年を待たずして退職し、沖縄へ引っ越して公務員として過ごした。1995年に結婚を機にハワイへ移住。地元新聞の記者として働くかたわら、趣味ではフォルクスワーゲンの旧車に入れ込んでいった。よく知られるように、ハワイで古いフォルクスワーゲンの人気は高い。

「ビートルの修理を人に頼むとお金がかかるからと思って自分で整備をやり始めました。手をかけ始めたらどんどんのめり込んで、見事に空冷フラット4エンジンにハマってしまったんです」

【画像15枚】趣味にすぎなかったはずのクルマによって、オーナーの人生が左右されることだってある。通勤用に選んだブラットがフラット4エンジンだったというのは偶然ですね」。ユキさんがそう語るエンジンは、エンジンルーム底部に収まっているためエンジンブロックは容易には見えない。この個体はオレゴン州向けで、寒冷地仕様らしく、エンジンブロックヒーターが取り付けられていた。「ほら、日立製でしょ」と電装品に刻まれた日立製作所のマークを指してユキさんは微笑んだ


>>ブラットの走行中に受ける印象は「とても軽快に走っていく元気なクルマ」というもの。決してパワフルではないのだが、車重が1トン足らずと軽いからだろう。ブラットのフロントマスクは年式によって異なっていて、初代は丸形2灯の前期型から4灯の後期型へとフェイスリフトされた。2代目の前期型は角形2灯で中央の回転式エンブレムの内側に補助灯が一つつくという、変わった仕組みを持っていた。


【2】へ続く


初出:ノスタルジックヒーロー2018年12月号 Vol.190
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


ニッポン旧車の楽しみ方第50回 スバル・ブラット(全5記事)

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text&photo:Hisashi Masui/増井久志

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