「法律の抜け穴」荷台の補助シートは「乗用車」の証!?|1986年式 スバル ブラット【4】

「86年式にはジャンプシートがついていなかったそうです。このシートは後付けされたものみたいです。実際に乗車するときにはシートベルトの着用が必要になりますね」。ジャンプシートは硬い樹脂製で、クッションやスプリングは全くなし。乗用車としての乗り心地は決していいとは思えなかった

日本のメーカー製のクルマでありながら、日本国内では販売されない、いわゆる海外専売のクルマは少なくない。富士重工業が1977年に初代、81年に2代目を発売したスバル・ブラットもその中の1台だ。そんな日本で生まれて北米で販売されたピックアップと、日本生まれでアメリカに移住したクルマ好きがオークランドで出合った。

【アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第50回 1986年式 スバル ブラット vol.4】

スバルの前に立ちはだかった「チキンタックス」と呼ばれたアメリカの法律。これはアメリカに輸入されるトラックには25%という高い関税をかけるというものだった。

実はこの法律には抜け道があった。それは「荷台のついていない車両はトラックとみなされない」ことだった。ここに目をつけたメーカーはフレーム状態の車両をアメリカへ輸出し、アメリカ現地メーカーが荷台を取り付けるという方法で高関税を避けた。

フレーム構造の車種を持っておらず、負け組になりかけたスバルは一矢報いるためアメリカ政府に掛け合った。モノコック構造を維持したままライトトラックのような荷台を作り、そこに補助シートを取り付けて「乗用車」を作った。できあがったのがブラット。これで認可を受けた。関税は通常の2.5%。努力は実り、77年に輸出が開始された。

81年に登場した2代目は87年まで販売が続いた。その後16年のブランクを経て2003年、同様の構造を持ったスバル・バハが登場した。なお初代ブラットは第40代ロナルド・レーガン大統領が所有していたクルマとしてアメリカでは知られている。

一番の心配だったスモッグは排気系に触媒を一つ足すことで対応し、すんなりと解決した。機関系や足回りも整備し、以来何の問題も起きていないという。

「去年の春には娘とブラットでグランドキャニオンまで行ってきました。往復で1500マイル(2599km)の長距離も全く問題なかったですね。ただ標高が上がるにつれて走らなくなったのが辛かった。このブラットはキャブ車ですから」

【画像15枚】フレーム構造の車種を持っていなかったスバルが作ったのは、一風変わった「乗用車」だった。「通勤用に選んだブラットがフラット4エンジンだったというのは偶然ですね」。ユキさんがそう語るエンジンは、エンジンルーム底部に収まっているためエンジンブロックは容易には見えない。この個体はオレゴン州向けで、寒冷地仕様らしく、エンジンブロックヒーターが取り付けられていた。「ほら、日立製でしょ」と電装品に刻まれた日立製作所のマークを指してユキさんは微笑んだ



>>足回りは同世代のスバル・レオーネと基本を同じくしていた。前輪につながるドライブシャフトから4輪駆動であることが分かるし、排気管の配置から水平対向エンジンであることも分かる。後輪軸付近には小さなラバー製フラップが3枚備え付けられていて、「ドライブシャフトブーツを飛び石から守っているようにも見えるけど、何なんでしょうね」とユキさんも首をかしげた。デファレンシャルのケースには「ギア比3.900」と記されてあった。



【5】へ続く


初出:ノスタルジックヒーロー2019年8月号 Vol.194
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


ニッポン旧車の楽しみ方第50回 スバル・ブラット(全5記事)

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text&photo:Hisashi Masui/増井久志

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