長谷見スカイライン、柳田ブルーバード、星野シルビアが駆け抜けた【1】ターボ時代の先駆け「スーパーシルエット」

連なって走る日産軍団。長谷見スカイライン、柳田ブルーバード、星野シルビア

       
排ガス対策のため、メーカーによる国内のモータースポーツ活動は沈滞期を迎えていたが、
これをクリアした1970年代終盤から活動再開に向けて少しずつ動きが見られるようになってきた。
その口火となったのは、圧倒的なパワーと加速力を秘めたターボ技術だった。

【国内モータースポーツの隆盛 第2回 スピードとパワーで魅了した、ターボ時代の先駆け「スーパーシルエット」 Vol.1】

 排ガス対策期には表立ったモータースポーツ活動を完全に控えていた国内自動車メーカーが、ちらほらとその姿を見せ始めたのは1970年代終盤だった。

 排ガス対策が一段落したためだが、メーカーがワークス体制を組んで本格参戦するというほどではなかった。レース体制に、はっきりとメーカーの影が見え始めるのは、1980年代中盤のグループC、グループAの時代になってからのことである。

 排ガス対策はすでに完了し、社会的にはモータースポーツ活動を妨げる制約はなかったのだが、かといって、企業が大手を振ってモータースポーツ活動を再開するだけの大義名分が見当たらなかったのである。グループCが「燃費性能」、グループAが「量産車の基本性能、基本メカニズム」をレギュレーションの柱とした理由には、メーカーの参戦を容易にするため、という狙いも含まれていたのである。

 こうした意味では、自動車メーカーにとっての1970年代終盤は、レース参画の理由探しに苦慮する時代だったが、1社だけ例外的に素早く反応するところががあった。日産である。


>> 【画像17枚】柳田春人の駆ったPA10バイオレット(1979年)、ガゼールターボ(1981年)など

 当時の国内レースは、純レーシングカーによるフォーミュラ/GC(グラチャン)系を除くと、量産車ベースのT/GTカテゴリーは有名無実の状態で、富士GCシリーズのサポートイベントとして設定されたスーパーツーリングクラスも、S30フェアレディZとRX‐3サバンナの対決図式が長く続き、行き詰まりを見せる状態だった。

 こうした状況を打開するため、スーパーツーリングに代わる新たなレースてして選ばれたカテゴリーが、グループ5規定の「スーパーシルエット」だった。もともとは、グループ6プロトによる世界スポーツカー世界選手権が下降線をたどったことから、その立て直し策として考えられたカテゴリーがシルエットフォーミュラだった。

 シルエットフォーミュラは、量産車をベースにエンジン/内外装を大幅に改造することで、見た目は量産車の面影ながら、それとは裏腹なスピードとパワーが魅力のレースとなるはずだったが、追従するメーカーが少なく、世界選手権として短命に終わっていた。ポルシェ935が強すぎたのである。



>> 優れたハンドリング性能を持ち、日本車にとっての大きな脅威となったBMW・M1長坂尚樹車。オートビューレックが導入した車両で、写真は1982年シーズンからのひとコマ。正面からのカットでも分かるように1982年シーズンはワイドボディに作り直しての参戦だった。



【2】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2015年 02月号 vol.28
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

スピードとパワーで魅了した、ターボ時代の先駆け「スーパーシルエット」(全4記事)

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text & photo : AKIHIKO OUCHI / 大内明彦

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