「街中で放置されたままのダットサンを見かけると、『助けてあげたい』と思ってしまうんです」|1978年式 ダットサン トラック キングキャブ Vol.1

進んで240Zを家の前で動かしていた父親のオズワルトさんは若いころからのクルマ好き。南米には多く存在したアメ車をコレクションするのみならず、ブラジルでは普及していたフランス車も好きだったそうだ。修理工場を経営していた経験もあって自動車整備にも精通している。マスイさんともクルマの話が弾んでいた。

       
移民の国、アメリカ。建国から2世紀以上を経た現在まで絶え間なく世界各国からの移民を受け入れ、人々は社会に溶け込みアメリカ文化を確立する原動力となっていく。ドイツ、日本、そしてブラジルに自分のルーツを持つオーナーが、ダットサン240Zを好きになったのをきっかけに、ニッポン旧車を持つ生活を楽しみ始めた。 

【1978年式 ダットサン トラック キングキャブ Vol.1】

「街中で放置されたままのダットサンを見かけると、『助けてあげたい』と思ってしまうんです」

 ダットサンへの思いをそう表現したのはジョルジ・マスイ・スパットさん。アメリカ北西部、アイダホ州リグビー市にある自宅には、そんないきさつで手に入れたダットサンが、走らない状態のままで保管されていた。
「もともとは日産350Zが好きでした。留学で2005年に渡米したある時、インターネットで目をとらえたクルマの写真があった。それはダットサン240Zでした。調べてみたら350Zの祖先だということがわかって、ダットサンに興味がわいてきた。ブランドネームがすでに消滅したことや、BREのレースでの活躍とか、そういう歴史にワクワクするんです」

 日産の歴史を知るに従って、ハコスカ、ケンメリと歴代の名車にもはまり、さらにトラックにも魅せられた。
 南米ブラジルのサンパウロで生まれ育ったマスイさんは、子供のころのことを楽しそうに思い出す。
「学校から帰ると、父が経営していた修理工場でクルマの部品を使って遊んでいました。ボールベアリングを探しては、分解してパチンコの玉にしていた。父は自分のガレージにアメ車を何台も保管していたくらいクルマ好きだったので、ショーにもたくさん連れて行ってくれたし、おかげで僕にとってクルマは単に移動手段だけじゃない魅力のある存在となったわけです。でもブラジルには1990年代まで輸入規制があったので、古い日本車は一切見たことがなかった」

 ブラジルには日本車が輸入されなかったためにマスイさんは240Zという存在に接することがなかったのだ。



アイダホ州リグビーにあるマスイさんの自宅。父親のオズワルト・スパットさん(右)はドイツ・スイス系。母親のヨランダ・クミコ・マスイさん(中央)は、ブラジル生まれの日系二世。2人の末っ子のジョルジさん(左)に初めての子供が生まれるとあって、ブラジルから訪ねてきて長期滞在していた。


>>【画像14枚】「それまでは割れなしで完ぺきのダッシュボードだったのに」。夏の日にショーで展示していたら、日光と熱のせいで大きなヒビが入った240Zのダッシュボードなど




アシュレイさんとの間に生まれた女の子ジヤ・サユリちゃんは、この日まだ生後4日目。アメリカの病院では出産後速やかに退院するのが普通だそうだ。自宅で過ごしていた母子は共にとっても元気だった。

【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年4月号 vol.180(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

ダットサン・トラックの姿に魅せられて(全5記事)

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【1】から続く

text & photo:HISASHI MASUI/増井久志

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