トラック・乗用車が共通のフレームを使用していた時代|ダットサン・トラックのアメリカでの歴史を振り返る|1978年式 ダットサン トラック キングキャブ Vol.3

キングキャブのサイドには、固定ガラスのクオーターウインドーがつく。ウイングラインの部分には「KING CAB」の文字が入る。

       
移民の国、アメリカ。建国から2世紀以上を経た現在まで絶え間なく世界各国からの移民を受け入れ、人々は社会に溶け込みアメリカ文化を確立する原動力となっていく。ドイツ、日本、そしてブラジルに自分のルーツを持つオーナーが、ダットサン240Zを好きになったのをきっかけに、ニッポン旧車を持つ生活を楽しみ始めた。 

【1978年式 ダットサン トラック キングキャブ Vol.3】

【2】から続く

 日本が戦後の荒廃から立ち直る時期、ピックアップトラックは大活躍をした。2輪車の発展版ともいえたオート3輪が複数メーカーによって販売・活躍する中にあって、当時日産はトヨタと並び4輪車の製造技術を保有する大手国内メーカーだった。

 ダットサンが1955年に発売した120系トラックが現代的なデザインとなったのは、新たに登場した乗用車(110系)との関連性がある。両者は共通のフレームとエンジンを使用していた。1957年発売の220系トラックと210系乗用車でも構造には大きな変更はなく、エンジンが新型となった。

 このトラック・乗用車の並行開発に変化が生じたのが次の世代だ。海外市場を意識した310系ブルーバード(1959年)では独自のフレーム設計を導入。モノコックの要素を取り入れた構造は秀逸で、補強を施しフェアレディにも流用されたことはノスタルジックヒーロー本誌Vol.169の特集に詳しい。320系トラック(1961年)は商用車としての強度を保つため独自のフレーム構造を採用した。

 そして、520系を経て620系の登場となる。

>>【画像14枚】日本国内仕様のどの車種にも使用されなかった4気筒で最大排気量を持つL型エンジンである、620系に搭載されるL20B型など




ガレージには260Zと521系トラックが押し込められていた。街で見かけたダットサンを、「かわいそうだから助けてあげよう」と思って買ってしまった結果。アシュレイさんを横目に「買うばかりでなく、手放していかないと」とマスイさんは表情を曇らせた。




夏の日にショーで240Zを展示していたら、日光と熱のせいでダッシュボードに大きなヒビが入った。「それまでは割れなしで完ぺきのダッシュボードだったのに」と悔しそうにマスイさんは言った。


【4】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2017年4月号 vol.180(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

ダットサン・トラックの姿に魅せられて(全5記事)

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【1】【2】から続く

text & photo:HISASHI MASUI/増井久志

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