ル・マン24時間レースで響いた「天使の咆哮」は日本車メーカー初の総合優勝を飾った|マツダ 787B

ホイールはボルクレーシング製で、素材はマグネシウム。組み合わされるタイヤはF300/640R18、R355/710R18だ。ただしこれは当時のサイズで、取材時はル・マンのデモラン用に英国ダンロップから入手したF305/660R18、R360/710R18を装着していた

       
世界三大レースに数えられるル・マン24時間レース。90年以上もの長い歴史を誇る同レースで、日本車メーカーとして初めて総合優勝を飾ったのがマツダだった。

そのマツダがル・マンに初めて参戦したのは1979年のこと。
それまでエンジンの供給やプライベートチームとのジョイントで参戦したことはあったが、事実上のワークス体制として挑んだのは79年が最初。マシンは前年に発売されたRX‐7(SA22C)をベースに13B型を搭載したものだったが、強力なライバルたちにはまったく歯が立たず、予選敗退という悔しい結果に終わった。そしてマツダはこの後も継続的にル・マンに参戦。
80年代半ばから参戦したトヨタや日産よりも経験値のアドバンテージはあったが、善戦こそするものの総合優勝を飾るまでには至らなかった。

【画像19枚】栄光のル・マンを制した 最初で最後のロータリーマシン。そのディテール

マツダ 787B

そんなマツダが、ついに悲願を達成するときがやってきた。それが、第59回開催となった91年のレースだ。この年、トヨタと日産は欠場し、ワークス体制の日本車メーカーはマツダのみ。そんな状況のなか、優勝候補だったジャガーやメルセデスを抑え、トップでゴール。マツダがロータリーエンジンとともに長年挑んできた夢が、ついに現実のものになった。しかも55号車以外の787Bも、18号車が6位、56号車が8位に入賞し、すべてがトップ10に入る快挙を成し遂げた。

ル・マンの長い歴史のなかで、日本車メーカーが総合優勝したのは、この91年のみ。さらに、ロータリーエンジン搭載車の優勝も787Bが最初で最後。この栄光は、30年近くたった今でも語り継がれている。


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TEXT:Rino Creative/リノクリエイティブ PHOTO:MOTOSUKE FUJII(SALUTE)/ 藤井元輔(サルーテ) COOPERATION:MAZDA/マツダ

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