【ハチマル・ターボ12選】ハチマル世代を示す象徴と羨望|歴史に残る80年代ターボ車たち

ハチマル・ターボ12選

       
【歴史に残る80年代ターボ車たち】

 1970年代、日本の自動車メーカーは環境対策や安全対策に振り回され、何度も煮え湯を飲まされた。排ガス対策を見事に成し遂げた日本のエンジニアと首脳陣は、自動車を再び晴れ舞台に立たせるために必要なのは「技術革新」だと考えるようになる。高度なテクノロジーを積極的に採用した量産車こそ、生き残る道だと悟ったのだ。

 革新メカニズムの筆頭が、航空機の分野で効果を知られ、モータースポーツの世界でも注目を集めたターボチャージャーとスーパーチャージャーだ。排気量を大きくさせることなく出力とトルクを高められる過給機は、じつに魅力的なアイテムだった。

 ターボを軽商用車にまで広め、身近な存在にしたのは、進取の気性に富む日本の自動車メーカーの功績だ。ご存じのように日本初のターボ車は430セドリック/グロリアで、1979年12月に登場。パフォーマンスを意識して抑え、運輸省(現・国土交通省)の意に沿うようにハイギアードなギア比として「省燃費ターボ」をうたったが、これは省エネ派の反論を封じるためである。


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 これ以降、日産は次から次へとターボ搭載車を送り出し、他のメーカーも追随した。トヨタはクラウンの2LM型直列6気筒に、日産と同じギャレット社製のターボユニットを搭載して送り出す。三菱は、まずシグマとラムダに新設計のディーゼルターボを搭載。その半年後にはG63B型ガソリンエンジンにもターボを搭載している。

 デビュー直後のターボエンジンは、ドライバビリティーに難があった。過給機付きエンジンは圧縮比を高くするとノッキングに悩まされる。また、制御も緻密ではなかったから、ターボラグも大きかった。これがドッカンターボと呼ばれるゆえんだ。この難題を克服するためにノックコントロールシステムを採用し、燃料供給には電子制御燃料噴射装置を使用。トヨタはドライバビリティーの悪化に悩まされるのを嫌い、最初は4速ATだけの設定とした。

 ターボならではの熱害によるパワーダウンも大きな問題だった。これを解消するために、インタークーラーを追加している。その最初の車両となったのが、三菱のスタリオンだ。三菱重工製のターボに空冷式インタークーラーを組み合わせたのだ。

 この時期、三菱はフルラインターボを掲げ、全クラスにターボ搭載車を設定しようと意気込んだ。これは今のダウンサイジングに近い考え方といえるだろう。1983年2月、ミニカ・アミLに軽自動車初のターボ車を設定した。その一方で、1982年秋にはマツダが世界初のロータリーターボを市場に投入した。コスモとルーチェの12A型ロータリーに組み合わせたのは、日立製のターボユニットだ。そして1983年秋に、サバンナRXー7もターボパワーを手にする。

 これらのメーカーに比べると、ホンダはややおとなしい。しかし、復帰したF1のターボエンジンのイメージを重ね合わせるように、シティにターボを設定。小型のターボユニットはIHI製だ。1983年秋には「ブルドッグ」の愛称を持つターボⅡへと発展した。ターボは税制上の優遇にも支えられたから、一気に搭載車が増えていった。

 当時はSOHCエンジンにターボを組み合わせるのが一般的だったが、1982年9月にトヨタが日本初のDOHCターボを送り込む。その後スカイラインRSターボではDOHC4バルブターボへ発展し、グロス値だったが200psの壁を越えた。1985年にはトヨタが日本初のDOHC4バルブツインターボを投入する。また、ダイハツはリッターカーのシャレードに、ガソリンターボに加え、世界最小のディーゼルターボを設定し、ライバルを驚かせた。

 ターボの技術革新はとどまるところを知らない。日産はV型6気筒のVG20ET型に、画期的な「ジェットターボ」を採用した。これはターボの吹き出し口に可動式の可変フラップを設けて、出力特性を変えるものだ。2つのバルブ開閉機構を備えたツインスクロールターボ、ホンダがレジェンドのV6エンジンに採用したウイングターボも同様のアイデアである。さらに効率をアップするために、タービンやコンプレッサーの軽量化にも着手。タービンホイールには耐熱性に優れたファインセラミックスを、コンプレッサーにはポリエステル系の樹脂に炭素素材を混ぜて加工するなど、素材にもこだわった。また、タービンシャフトにボールベアリングを使用するターボエンジンも出現するなど、技術面では世界屈指のレベルに達するのである。

 スバルはパワフルなターボエンジンを支配下に置くため、駆動方式に4WDを選択。1980年代後半にはこの方式が浸透した。1987年には、スズキが超過激なアルトワークスを軽ボンネットバン市場に送り込んでいる。日産も1989年に新世代のGTーRとフェアレディZを投入した。これらが引き金となって軽自動車の64 ps自主規制、そして乗用車には280ps自主規制が敷かれたのである。今につながる、新しい自動車の世界の扉は、ハチマル世代の日本車によって開けられたのだ。



【NISSAN FAIRLADY Z】

 既存のVG30DET型エンジンをツインターボ化したVG30DETT型を搭載し、国産車初の280psカーとなったZ32。その圧倒的なパワーはもちろんだが、40kg-mにも迫る強大なトルクに誰もが舌を巻いた。そして、あり余るパワーから自主規制が敷かれ、国産車の最高出力は15年間にわたって280psに抑えられた。






【SUBARU ALCYONE】

 1985年にデビューし、近未来的なスタイリングと圧倒的な空力性能で話題を呼んだのがアルシオーネだ。パワーユニットは、レオーネ譲りの水平対向4気筒EA82型ターボで、最高出力は135psを発揮。駆動方式は4WDとFFが設定されていた。なお、4WD車には車高調整機構付きのエアサスが装備されていた。



初出:ハチマルヒーロー 2016年 7月号 vol.36
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明

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