国産のLM製シャシーを使ったフェアレディZターボC【3】グループCカー時代の到来、2L直列4気筒ターボで臨んだ初期の日産

コカコーラ、キャノンとともにイメージカラーは赤と白。1983年の赤一色から白地ベースとなって軽快な印象に変わったフェアレディZターボC。柳田春人/和田孝夫組

       
とにかく何かをしなくては、と1979年に始まったスーパーシルエットレースは、
立ち上げてみたら予想以上の人気で大成功。しかし、世界の動向はすでにグループCカーの時代へ突入。
要求性能のレベルが高く、自動車メーカーが本腰を入れて臨む条件が揃っていた。

【国内モータースポーツの隆盛 第5回 グループCカー時代の到来、2L直列4気筒ターボで臨んだ初期の日産 Vol.3】

【2】から続く

 続く第3戦、7月の富士1000kmに日産Cカーの2番手としてシルビアターボCニチラ(星野一義/萩原光)が登場。こちらはマーチ社の83GシャシーにLZ20B型ターボを組み合わせた本格的なグループCカーだった。

 そして最終戦の富士500マイルに3番手となるフェアレディZターボC(柳田春人/和田孝夫)が登場。エンジンは他の2台と同じLZ20B型ターボだったが、シャシーはル・マン商会が企画した国産のLM03Cを使用。

 当然のごとくポルシェとの戦闘力差は大きく、スピード、完成度とあらゆる面で劣り、完走もおぼつかない状態で、熟成を進めるというよりターボエンジンも含め、試行錯誤の真っただ中にいたというのが実状だった。

 翌1984年、4台目の日産CカーとしてパナスポーツターボCが登場。柳田のフェアレディZターボCと同じLM製シャシーを使ったが、こちらは1984年型の04C。鈴木利男/中子修という新進気鋭、F3のチャンピオンコンビで初戦から参戦。


>> 【画像13枚】セントラル20を率いてフェアレディZのチューニングで名を上げていた柳田春人は国産のLM03CシャシーにLZ20B型エンジンを組み合わせ、フェアレディZターボCのネーミングで参戦。ボディカラーの赤はメインスポンサーとなったコカコーラカラー




>> コカコーラ、キヤノンとともにイメージカラーは赤と白。1983年の赤一色から白地ベースとなって軽快な印象に変わったフェアレディZターボC。柳田春人/和田孝夫組。



【4】に続く


初出:ハチマルヒーロー 2015年 09月号 vol.31
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

グループCカー時代の到来、2L直列4気筒ターボで臨んだ初期の日産(全4記事)

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【1】【2】から続く

text & photo : AKIHIKO OUCHI / 大内明彦

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