グループCカー史上、最初で最後のフロントエンジンカー「スカイラインターボC」【2】グループCカー時代の到来、2L直列4気筒ターボで臨んだ初期の日産

日本でグループC規定のJSPCが始まったのは1983年。ターボエンジンを使う点はスーパーシルエットと同じで、日産勢はLZ20B型ターボをグループCカー用として転用。しかし、長谷見昌弘はボディ/シャシーもスーパーシルエットの発展仕様で臨む異色の手を打ってきた

       
とにかく何かをしなくては、と1979年に始まったスーパーシルエットレースは、
立ち上げてみたら予想以上の人気で大成功。しかし、世界の動向はすでにグループCカーの時代へ突入。
要求性能のレベルが高く、自動車メーカーが本腰を入れて臨む条件が揃っていた。


【国内モータースポーツの隆盛 第5回 グループCカー時代の到来、2L直列4気筒ターボで臨んだ初期の日産 Vol.2】

【1】から続く

 日本で初のグループCレースは、世界耐久選手権(WEC)シリーズ発足初年度の1982年、WEC第7戦富士6時間レースとして開催されたが、当時の日本にはグループC規定のレースはなく、当然ながらグループCカーもなく(カテゴリー違いのシルエット車両、ツーリングカーは参戦したが)、遠征のWECレギュラー参戦組によるレースとなってた。

 しかし、グループC規定施行2年目となる翌1983年には、早くも全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)が発足。トラストがこの年から市販されたポルシェ956を導入。

 結果から言えば、日本製Cカー勢はその後数年にわたり、このポルシェの市販レーシングカーにやられ続けることになるのだが、それはともかく、JSPCの開始と同時にスーパーシルエットと同じ3台のグループCカーを揃えてきた日産勢の積極性は、さすが「レースの日産」といえるものだった。

 まず、シリーズ第2戦、6月の富士500kmレースにスカイラインターボC(長谷見昌弘/都平健二)が登場。非常に興味深い車両で、スーパーシルエット用スカイラインをベースにCカーとして作り直された車両で、グループCカー史上最初で最後のフロントエンジンCカーだった。

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>> コースインを控えコントロールタワー裏に並んだCカー群。1984年WECからのひとコマだが、何気にロスマンズ・ポルシェの横に並んだスカイラインターボCの2ショットがすごい。この時点で日産勢とワークスポルシェの実力差は天と地ほどの違いがあった。




【3】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2015年 09月号 vol.31
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

グループCカー時代の到来、2L直列4気筒ターボで臨んだ初期の日産(全4記事)

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【1】から続く

text & photo : AKIHIKO OUCHI / 大内明彦

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