ついにヤマハが純レーシングエンジンのOX66型を開発| 国内モータースポーツの隆盛 第19回【3】ヤマハOX66とその後のOX77

非力(?)なBMWエンジンで制限回転数を超す領域まで使いながらホンダ勢に立ち向かった星野一義。しかし、皮肉なもので、ヤマハが参入した85年、星野は目の敵にしていたホンダエンジンの供給を受けることに成功

【2】から続く
依然としてF2界の主戦力はBMW。しかし、勝つのは超少数派、限定供給のホンダという力関係が4年ほど続いた85年、ホンダV6に挑戦状を叩きつけるメーカーが現れた。

モーターサイクルの雄、そしてトヨタ高性能エンジン開発のシンクタンクとして知られるヤマハが、純レーシングエンジンのOX66型を開発してF2戦線に名乗りを挙げた。しかも、それはいかにも技術集団ヤマハらしい、独創的な内容だった。

シリンダーバンク挟角75度、吸気3/排気2のバルブ構成による5バルブ方式で、梅の花びら形をした燃焼室を持つ独特のエンジンだった。吸気の充填効率向上を図った思想で、高回転高出力型のホンダV6以上に高出力性が望める仕様でもあった。

ちなみに、この頃のホンダ体制(レギュラー参戦)は、84年が3台体制(中嶋、ステファン・ヨハンソン、ティフ・ニーデル)、85年が5台体制(中嶋、星野、ケネス・アチソン、ロベルト・モレノ、エイエ・エルグ)となり、表彰台を独占する場面もあった。

85年シーズン開幕と同時に投入されたヤマハOX66型エンジンは、まずジェフ・リースに供給され、シリーズ折り返しとなる第5戦からは松本恵二も加えた2台体制に発展。優勝こそ果たせなかったが、常に表彰台の1角を占める存在として、ホンダ勢には大きな脅威となっていた。

しかし、おもしろいもので、全8戦で組まれた85年シリーズでホンダ以外の優勝は、開幕戦のBMWだけだったが、このときのドライバーが松本恵二だった。

2台体制ながら、85年シーズンをフルに戦ったことでOX66型の開発は急ピッチで進み、根本的な問題(熱歪など)も洗い出したうえで、翌86年からBMW同様に市販エンジンとして一般供給されることになった。

唯一の戦えるF2エンジンとして、長きにわ2勢力の座に追いやられていた。それだけに、BMWユーザーにとってヤマハOX66型の一般供給はまさに天恵で、諦めていた優勝のチャンスを手元に引き寄せる、起死回生の有力なデバイスとして映っていた。


>>【画像15枚】80年代の声を聞くと同時に、長らくF2、富士GCと日本のトップレースを支えてきたBMWエンジンの前に、 思わぬ強敵が出現した。限定供給のホンダRA26#E系V6エンジンで、 またたく間に欧州、日本のF2を席巻。多くの市販BMWユーザーが劣勢に立たされる中、 技術集団ヤマハが独自の5バルブV型6気筒エンジンを開発してホンダに真っ向勝負を挑んだ。

【4】に続く


1986年、それまでの日本では考えられなかったスポンサー企業が登場。当時、専売公社から民営化されて間もない日本たばこ(JT)が松本恵二をスポンサードした。TVCFのキャッチフレーズは「攻める」で、2年目となる1987年は「決める」とアクティブだった。
>> 1986年、それまでの日本では考えられなかったスポンサー企業が登場。当時、専売公社から民営化されて間もない日本たばこ(JT)が松本恵二をスポンサードした。TVCFのキャッチフレーズは「攻める」で、2年目となる1987年は「決める」とアクティブだった。

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【4】に続く

初出: ハチマルヒーロー 2018年 3月号 vol.46
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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TEXT : AKIHIKO OUCHI/大内明彦  COOPERATION : YAMAHA MOTOR Co.,Ltd./ヤマハ発動機、 Fuji International Speedway Co.,Ltd./富士スピードウェイ

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