50台以上日本旧車を乗ってきて見つけた本命の1台! 北米限定の特別仕様|Mazda RX-3SP【1】

ソノラの街を行く1977年式マツダRX-3SP。ソノラの市街地はメインストリートが通るこの500mほどの区間だけ。一つ裏通りに入ればクルマでは走りにくい急斜面の細い道が入り組んでいて、小さな家が斜面に所狭しと並んでいる、そんな町だった。

       
最近、マツダ車の車名が国内においてもMAZDA3といったように、ナンバリングで統一されたが、かつてはファミリア、カペラ、ルーチェ、サバンナとして我々がなじんでいたマツダ車の名称も海外では用いられず、RX-◯といったナンバリングが用いられていた。今回は日本名サバンナこと、RX-3SPに乗るオーナーを紹介しよう。

【アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第51回 カリフォルニアの青空の下を駆けるマツダ・ロータリー vol.1】

 晴天のごとく澄んだ青色のマツダRX-3が田舎の古い町並みになじんでいた。ここはカリフォルニア州ソノラ市。壮大なシエラネバダ山脈を背後に控え、ヨセミテ国立公園にほど近い山間の町。その昔はゴールドラッシュで賑わったというが、今ではその面影だけが感じられる。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー・パート3」がここで撮影されたと聞けば雰囲気が伝わるだろうか。

 古きよきアメリカの息遣いが今でも残るこの町でニッポン旧車を走らせているのはコチラのオーナー。



「ソノラに引っ越してきてから1年半たちました。ここはシニア運転手が多い。道路上でのしきたりや運転のペースが違うから、呼吸が合うようになるまでしばらく時間がかかりました」

 オーナーが体験を語った。サンフランシスコからはるか200km。都会を離れ、退職後の人生をこの田舎町に求めてやって来る人も多い。

「私は(サンフランシスコ近郊の)フリーモント市の出身です。そこで父親が修理屋をやっていたので子供のころからクルマに接していました。普通の町の修理屋だったのでアメ車が多くて、だからキャデラックなんかも今でも好きなクルマの一つです」

 そんな環境で生まれ育ったオーナーが、初めて自分で手に入れたクルマはダットサン510だった。

「510に乗ったのは別に理由があったわけではないです。結果的にあまりいい印象はありませんでした。2台目に乗ったのがマツダRX-7で、この時は「これだ!」と手応えを感じました」

 その強烈な印象から、以来日本旧車に魅せられて、「これまで50台は下らない」というほどの日本旧車を手にしてきた。それでも本命はマツダロータリー。

「RX-3と初代RX-7がダントツで好きなんです。このRX-3SPは友人を説得してようやく譲ってもらえました。4年半前のことです」

 SPを特別探していたわけではないんですが、と説明しながらも、オーナーが10代のころからうらやましいと思って見ていたその友人のRX-3SP。SPは北米限定の特別仕様だった。友人の提示した譲渡の条件は、オーナーがもし手放すときにはまた買い戻す、という紳士協定。それでもその時点で前オーナーは10年近くも走らせていないようだった。

「実はRX-7も1台手に入れて仕上げを頼んでいるところ。あと2週間くらいで出来上がってくる予定です」

 マツダロータリーの「3」と「7」。言わずと知れた「サバンナ」である。

【画像13枚】オーナーが住んでいるソノラの町並みなど。500mほどの小さな町だが老後の方たちがこの田舎町に引っ越すケースが多い。オーナーの自宅は市街地から5分ほど離れた高台の新興住宅地にあった



>>リアのルーバーはなんとオリジナル品で、再塗装し装着している。サイドのルーバーはリプロダクション品。SPのリアクォーターウィンドーは開かないためかオリジナルは固定式ではずせない構造になってしまったが、「取り付けを工夫してルーバーを取り外せる構造にしました」とオーナー。なんでも工夫するのが好きなようだった。



>>トランク内には不要なものを入れずきれいに保っている。スペアタイヤや車載工具などはオリジナルのまま残っていた。22年前に施した塗装は現在でもピカピカ。


【2】へ続く 。アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第51回(全3記事)

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年10月号 Vol.195

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


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