トヨタでもなかなか頂点に届かなかった。世界を相手にしたトヨタのル・マンの歴史|2019 ル・マン24時間レース【2】

終盤BMWを追い詰めたが届かず。片山右京/鈴木利男/土屋圭市が操り2位入賞

【1】から続く

2018、2019年とル・マン24時間レースを優勝することができたトヨタ。しかしトヨタの本命車両が交代するという予想外の結果に終わった。ところで、ル・マンにおいてトヨタはどのような過程で今のような不動の地位を得たのだろうか。この記事ではトヨタと世界の戦いの歴史に触れる。

【トヨタ、ル・マンを2連覇!日本車挑戦の50年を振り返る vol.2】

 トヨタ車としてのル・マン初参戦は1985年のトムス85C‐Lと見てよいが、トヨタ自動車としての本格参戦は、エンジン/シャシーとも社内企画とした89年の89C‐Vが初だった。

 グループCカー時代の終盤期でベンツ、ジャガーの全盛期。トヨタはV8ターボを開発してル・マンに挑んだが、参戦期間は89年、90年の2年で、91年はNA3.5L規定に変更されることから参戦は見送り、この期間をNA3.5L Cカーの開発に充て、92年にル・マン復帰を予定していた。

 その92年、トヨタはV10エンジンを積むTS010を開発、投入。相手はプジョー905で、トヨタとの一騎打ちと見られたが、折からのウエット路面でトヨタのタイヤが合わず、プジョーに先行を許し、これが勝敗を決定づけることに。ドライとなった後半、強烈に追い上げたが惜しくも2位。

 次にトヨタが本格参戦の姿勢を見せたのはGT1規定となった98年。TS020を開発してチャンスをうかがったが、参戦2年目となる99年、優勢と見られた3台体制で臨み2台が脱落。唯一残ったのが、前年モデルのアップデート仕様で臨んだ日本人クルーの 号車で、終盤BMW‐LM12を追い込んだか届かず、またもや2位。

 そしてHVプロトとなった2012年から本格活動を再開。絶対有利、優勝は確実と見られた14年、16年、17年と相次いで想定外のトラブルが発生。どうすれば勝てるのか、と万全の手を尽くした18年、ついに念願の優勝を勝ち取ることに成功した。


【画像35枚】トヨタが初めてル・マンに出場したのが1989年で、優勝するまで29年かかった



>>トヨタがメーカーとして初めてル・マンに臨んだのはグループCカー時代の1989年。写真は体制を整えて挑んだ1990年の90C-V。完走、6位入賞を果たしていた。



>>NA3.5LのグループCカー時代を迎えた1992年のル・マンは、プジョーとの一騎打ちになったが、ウエットタイヤの性能差が響き追い上げたものの2位に終わったTS010。



>>2位の表彰台上では、このレースの直前に亡くなった小河等選手の遺影が掲げられていた。



>>GT1規定で開催された1999年のル・マンに本命視されて臨んだトヨタTS010。3台体制だったが、残ったのはナンバー3扱いの日本人クルーの③号車。



>>終盤BMWを追い詰めたが届かず。片山右京/鈴木利男/土屋圭市が操り2位入賞。



【3】へ続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年10月号 Vol.195

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

2019年 ル・マン24時間レース(全4記事)

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