80年代半ば。小さな車体のくせに、スーパーカーの雰囲気がプンプンただよってくる|1989年式 トヨタ MR2【2】

シャンクさんの自宅周辺にはサンフランシスコ湾を見下ろす景色のいい場所が多い。「『TOYOYA』の文字がリアウィンドーに映り込むのが好きなんです」。MR2の後ろ姿を見ながらシャンクさんは言った。ルーフ後端に取り付けられたスポイラー上側に描かれた文字には、まさにその意図があったのだろう

       
【1】から続く 

日本の自動車メーカーとして初めて本格的なミッドシップレイアウトを採用したスポーツカーがトヨタのMR2だ。当時は「スポーティーカー」などと称していたが、目指していたところはいわゆるスーパーカーのイメージだったことは明らかだろう。そんなスタイルとミッドシップレイアウトの運動性にほれ込み、鮮やかなイタリアンレッドのMR2に乗るオーナーに話を聞いた。

【ニッポン旧車の楽しみ方第46回 1989年式 トヨタ MR2 vol.2】

 ミッドシップエンジン後輪駆動のレイアウトは、50年代末にはその高いポテンシャルがレース界で証明され、60年代に入るとフランス、イタリア、イギリスから相次いで市販車が登場した。

 ここで、イタリア人が本気になると潮目が変わった。ランボルギーニが12気筒という巨大なエンジンをミッドに積むという技を見せる(ミウラ、66年)。さらに69年、歴史的なリトラクタブルライトの採用によるウェッジシェイプの提案。「エンジンのなくなったフロントは極端に薄くできる」という事実を、イタリア人デザイナーのマルチェロ・ガンディーニは、アルファロメオ・カラボという目に見える形で示した。

 ウエッジシェイプの与えた影響は大きく、ランボルギーニからはミウラを引き継いだカウンタックが誕生し、フェラーリは246ディノから365BBを生んだ。イタリアから少し遅れてイギリスのロータスはヨーロッパをエスプリへと進化させた。ウエッジシェイプはあまりにも斬新で、日本ではスーパーカーブームの中心的存在となり、かの童夢・零もそれにならった。

 ミッドシップスーパーカーのもたらしたデザインの変革は外観だけにとどまらなかった。大きなエンジンを車体中央に置いたことで、運転席後部は高く盛り上がって後方視界が制限された。

 両座席間には巨大なセンターコンソールがそびえ立ち、キャビンはタイトになった。ちなみに巨大なセンタートンネルには、カウンタックではトランスミッションが、エスプリではバックボーンフレームが収まっている。

 トヨタがMR2の構想を練り上げる際、あらゆるミッドシップ車を参考にしたことだろう。リトラクタブルライトを採用したウェッジシェイプの外観はもちろん、そのキャビンは後方視界が制限され、高いセンターコンソールを伴い、タイトでなければならなかった。それが誰もが思い描いたミッドシップカーのイメージだった。

 スーパーカーに熱狂した子供達はミッドシップにあこがれながら大きくなった。免許を取ると、MR2はスーパーカーの気分を味わわせてくれ、ほてった気持ちを冷ましてくれた。MR2は小さな車体のくせに、スーパーカーの雰囲気をプンプンさせていたのだ。

【画像12枚】スーパーカーにあこがれて育った子どもたちは、免許を取ってMR2に乗ることで、ほてった気持ちを冷ました


>>「ラックアンドピニオン式でフロント荷重は軽いからパワステなんかいらない」。そんなコメントを残し、シャンクさんは峠道を軽々と走り抜けて行った。ヘッドランプはLEDに交換済み、フォグランプは当時もののシビエ・エアポートを取り付けた。


>>ボディを修繕し全塗装を行ったところまではよかったが、その後に問題になったのがデカール類だった。知り合いの業者は細かいカットをすぐには実現できなかった。それでもその業者は改善努力を続けたようで「しばらくして連絡がきた。カットができるようになった、って」。オリジナルではリアバンパーにつけられていた小さなデカールを再現して、シャンクさんはそれをフロントバンパーの中央に付けることにした。


>>「マレーシアから取り寄せたものです。すごく軽量で、たった3.9kgしかない。軽量鍛造の市販品はBBSよりも先なんじゃない?」。シャンクさんがべた褒めしていたSSR製15インチ鍛造ホイール。ゴールドが赤いボディにマッチしていた。



【3】へ続く


初出:ノスタルジックヒーロー2018年12月号 Vol.190
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


ニッポン旧車の楽しみ方第46回 1989年式 トヨタ MR2(全3記事)

関連記事:アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方

text&photo:Hisashi Masui/増井久志

RECOMMENDED

RELATED

RANKING