BMW・LM12を追い上げバースト! グループCカー時代の到来 5:ル・マンを目指して奮闘、80-90年代、トヨタの成功そして挫折 Vol.2|

2度目の2位は1994年。ル・マンがGT規定に変更された年で、トヨタとしての参戦はなくSARDが走らせた94C-Vがダウアーポルシェ962Cと競り合っての結果だった。なお、正式に94C-Vというモデルが作られたわけではなく91C-Vからの改良発展型となる。

1980年代の日本のモータースポーツは世界の扉を開けた時代だった。F1、WRC、
そしてスポーツカーレースの最高峰ル・マン24時間への挑戦。とくにメーカー技術力に栄誉がかけられた
ル・マンは日本勢にとっての悲願だった。勇躍参戦、そして栄光と敗戦。悲喜こもごもの物語があった。


【国内モータースポーツの隆盛 第11回 グループCカー時代の到来 5:ル・マンを目指して奮闘、成功そして挫折 Vol.2】

【1】から続く

 2度目の2位は1994年。新GT規定と旧ターボCカー規定が混在した年で、終盤までSARDの94C-Vがトップを快走。駆動系を壊し、修復の間にダウアーポルシェに先行を許したレースで、もしかしたら、と思わせる一戦だった。

 3度目の2位はTS020(GT1規定)で臨んだ1999年のレースで、ナンバー1、ナンバー2カーがアクシデントやトラブルで消え、継子扱いだった3台目の日本人クルー(片山右京/鈴木利男/土屋圭市)車が最終盤にBMW・LM12を追い上げ、場内を沸かせるレース内容だった。

 そして4度目が2013年のTS030。前年から始まったHV規定によるWEC(世界耐久選手権)戦に合わせた車両で、ディーゼル優勢の規定下で善戦。2位と4位に食い込み、翌年以降のル・マンやWECに大きな期待を抱かせる走りだった。

 この翌年というのが、圧倒的なペースでリードしながら、レースの折り返し直後にセンサー部過熱で突然ストップ、リタイアした2014年のル・マンだった。今年の戦いに負けず劣らず衝撃的な展開で、大きく落胆したファンも少なくなかったが、これを目の当たりにした関係者やファンには、今年の出来事は悪夢の再現だった。

 今年の敗戦で懸念されたのは、ひょっとしたらトヨタの撤退があるかもしれない、と憶測させたことだったが、直後に「来年は必ず!」とコメントが発表され、周囲を一安心させていた。

 HV技術は一朝一夕で出来上がるものではなく、基礎研究、基盤技術の質や量、研究開発の継続性に大きく左右されるもので、この視点では、トヨタは間違いなく世界のナンバー1メーカーと言えるだろう。必要なのはあと少しの「運」だけ、と痛切に思わせる。

>>【画像16枚】まだ、トヨタも日産も参戦していなかった時期、クラス優勝を勝ち取るケース(ローラ・マツダ)もあったマツダ。13B型ロータリーを使いグループC2クラスに転進。写真は1984年のル・マンを走る727Cなど




3度目の2位は1999年。GT1とLMプロトが混在する規定下でトヨタはGT1規定を選択。残されたただ1台の日本人クルーがBMW・LM12を追い上げたがタイヤをバーストさせて断念。この年、プロトとクーペの2タイプを用意してアウディが初参戦を果たしていた。





HV規定でWEC(世界耐久選手権)が復活した2012年、これに合わせてトヨタが参戦。翌2013年のル・マンでは2位と4位を獲得。ル・マン、WECで設定されたHV規定はトヨタのデータが骨格となり、この功績が評価され、当時のTMG社長、木下美明は2015年にスピリット・オブ・ル・マンを授与されている。




【3】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2016年 7月号 vol.36
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

グループCカー時代の到来 5:ル・マンを目指して奮闘、成功そして挫折(全3記事)

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【1】から続く

text & photo : AKIHIKO OUCHI / 大内明彦

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