神話を築いたGT-Rは、人々の羨望の的になった|最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀【2】

最初からチューニングパーツをスポーツオプションとして用意されていたGT-R

       

【1】から続く

【最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀 vol.2】

GT-Rを語るには、S54Bスカイライン2000GTの存在抜きには語れない。また、反対にGT-Rの存在が影響を与えた物も少なくない。スカイライン2000GT-Rがどのような存在で、どれほど多くのメーカーやクルマ、そして人々に影響していったのかを見ていこう。

今に続く「GT神話」を築き、GT-Rの誕生に大きな影響を与えたのが、スカイライン2000GT-Bだ。GT-Bが並みの性能で、サーキットを走らせて遅かったら「羊の皮を被った狼」と呼ばれることはなかった。ロングノーズがカッコいいと思えなければ後継のGT-Rも生まれなかっただろう。GT-Bがツーリングカーレースで常勝を誇り、「勝って当然、負ければニュース」と言われるほど強かったから、スカイラインはスポーツセダンとしての名声を勝ち得たのだ。

 ポルシェ904とバトルを繰り広げたことがスカイライン神話に箔をつけている。幸運が重なったこともあってポルシェと競り合うことができたのだが、人々は胸を熱くした。歴史は繰り返す。その20数年後、スカイラインはグループAレースでボルボやジャガー、フォードシェラなどに惨敗を喫した。この屈辱をバネにして、圧倒的な速さを手に入れたのがBNR32 GT-Rだ。手強いライバルがいたことが、スカイラインとGT-Rを成長させた。

あこがれの対象となったGT-R


 話をGT-Rに戻そう。高性能で、サーキットでも強いスカイラインGT-Bは、プリンス自動車のイメージアップに大きく貢献した。だから後継のGT-Rの開発にもゴーサインが出されたのである。レースで勝つことを最優先して開発され、専用エンジンを搭載した。また、コーナリング性能を高めるために、ストラットとセミトレーリングアームの独立懸架も採用する。

 ご存じのように、心臓は量産エンジンとしては日本初となるDOHC4バルブ方式の直列6気筒だ。このS20型はニッサンR380に搭載されているGR8型と基本設計を同じくするパワーユニットで、当時としては飛び抜けて高性能だった。フェラーリやポルシェでさえ、量産エンジンは2バルブ方式だったのだからすごいと思う。

 が、スカイラインGT-BとGT-Rは特別な存在だった。モータースポーツを愛する一部のマニアだけのスパルタンモデルなのである。当然、だれにでもうまく操れるクルマではない。ビギナーは半分の実力も引き出せないし、持て余す。だが、GT-Rという飛びっきり速いクルマがあったから、多くの人はスカイラインに乗ることにあこがれ、オーナーになることを夢見たのだ。

 GT-Rは高根の花だが、その血を引く4気筒の1500シリーズや2000GTなら手が届く。リーダーのポテンシャルが高いということは、ベース車の質も高いということである。多くの人はそう考え、スカイラインを次の愛車に選んだ。70年秋にハードトップが加わってからは、クーペデザインにこだわる人もスカイラインに注目するようになっている。

>>【画像9枚】スカイラインは多くの人にとってのあこがれとなり、中でもGT-Rは高値の花だった



>> 勝つために開発され、送り出されたスカイラインGT-Rは、レースやラリーで高い戦闘力を発揮できるように最初からチューニングパーツをスポーツオプションとして用意し、専用カタログも作られた。サスペンションやエンジンのパーツはもちろん、視野が広いワイドミラーなどもある。

【3】へ続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 Vol.191
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀(全3記事)

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text:Hideaki Ktaoka/片岡英明 photo:NISSAN MOTOR CO..LTD./日産自動車

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