GT-Rについて語るためには「GT」について語る必要があるだろう|最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀【1】

最初からチューニングパーツをスポーツオプションとして用意されていたGT-R

       

【最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀 vol.1】

 GT-Rを語るには、S5 4Bスカイライン2000GTの存在抜きには語れない。また、反対にGT-Rの存在が影響を与えた物も少なくない。スカイライン2000GT-Rがどのような存在で、どれほど多くのメーカーやクルマ、そして人々に影響していったのかを見ていこう。


GT-R伝説に先立つ「GT神話」


 60年を超える歴史を誇り、スポーツセダンの代名詞ともなっているのがスカイラインだ。プリンス自動車工業出身の人たちの作品からは、飛行機メーカーの気概と情熱が感じ取れた。だから熱狂的なファンが多く、歴代のスカイラインを乗り継ぐ人が少なくない。全国各地でクラブミーティングが開催され、クラシックカーイベントでも欠くことのできない存在となっている。

 なかでも群を抜く人気を誇っているのが「ハコスカ」と呼ばれる3代目のC10/GC10系スカイラインだ。そのなかでもGT-Rは孤高のスーパースターである。デビューしたのは、今から50年も前の1969年2月だ。デザインはベースとなったスカイライン2000GTに限りなく近い。が、サーキットでコンマ1秒を削るために、サーフィンラインをホイールアーチで分断し、軽量化も徹底した。

 また、レーシングエンジン直系の専用パワーユニット、S20型直列6気筒DOHC4バルブエンジンを積んだこともGT-Rの価値を高めることに大きく寄与している。量産車としては日本初のDOHC4バルブエンジンで、3基のソレックス40PHHキャブを装着して160ps/7000rpmの最高出力を発生した。リッター当たり出力は80psオーバー、レッドゾーンは7500rpmからだ。当時の2Lスポーツユニットとしては世界トップレベルの実力と言えるだろう。

 トランスミッションは4速MTが一般的だった時代に、クロスレシオの5速MTを採用した。しかもサーキットで速く走れるように、ギアレシオも選べるようにしている。カタログに記載の最高速度は200km/hだ。ファミリーカーの多くがハッタリでも150km/h止まりだったのに対し、Gt-Rは異次元の世界を見せてくれた。

 GT-Rを語るためには、2代目のS50系スカイラインに加えられた「GT」について語る必要があるだろう。このモンスターは64年5月に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリに参戦し、喝采を浴びた。GT-IIクラスのレースに勝つために開発されたスカイラインGTは、今でいうエボリューションモデルである。

 決勝レースではポルシェの最新鋭マシン、904GTSに敗れ去った。が、一時はトップを奪ったことで神と崇められることになる。そして再販を望む声が高まったので、65年にカタログモデルへと昇格させたのだ。これがS54BZ-IIの型式を持つスカイライン2000GTで、GT-Aが登場した後はGT-Bと呼ばれている。

>>【画像9枚】最強の称号となったGT-Rの誕生からの半世紀を振り返る


>>最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀

>>デビュー戦は苦戦したが、そのときの失態までも伝説の1ページとして語られてしまうGT-R。4ドアGT-Rは走るたびにタイムを更新した。途中から燃料噴射装置を採用し、速さに磨きをかけている。これに続くハードトップGT-Rも鮮烈な走りを見せた。

>>89年に復活したR32GT-Rを筆頭に、第2世代のGT-Rも新たなサーキット神話を築いた。90年にグループAレースに出場するや、93年まで無敗を誇り、29連勝を達成している。

【2】へ続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 Vol.191
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀(全3記事)

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text:Hideaki Ktaoka/片岡英明 photo:NISSAN MOTOR CO..LTD./日産自動車

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