ハコスカ、そしてケンメリ。「GT-R伝説」をめぐる

ハコスカ、ケンメリ、GT-R伝説

       
1969年に登場したスカイラインGT-R。初代は4ドアのPGC10で、1971年には2ドアハードトップのKPGC10が登場。そして、1973年には197台しか生産されなかったKPGC110ケンメリGT-Rと、数々の伝説によって国産旧車の中でもトップレベルの人気を誇る。伝説となったレースでの50勝をはじめ、S20型エンジンにまつわるエピソード。さらにボディカラーやエンブレムなどのディテールにまつわる都市伝説も数多い。今回は、そんなGT-Rの伝説に迫ってみた!

【特集 GT-R伝説 まとめ】

松田次生のKPGC10 & R35 GT-R NISMO



「最強のGT–R使い」。松田次生のほかに、そうした賛美を与えられるのにふさわしいレーシングドライバーは見当たらない。国内最高峰のスーパーGTではNISMOのエースナンバーである23号車をドライブし、プライベートではハコスカGT–RやR35ニスモ、R33ニスモ400Rなどを所有する。まさに365日、GT–R浸けのライフスタイルを貫いている。その生きざまは、文句ナシのカッコよさだ。今回はそんな、松田次生の素顔に迫る。

純正元色「スカイラインブラウン」のKPGC10



KPGC10のデビュー時には、「スカイラインブラウン」というボディカラーが設定されていた。
あまり知られていない事実だが、今回その元色を保った個体に遭遇することができた。
当時の雰囲気をそのまま今に伝える、奇跡の1台についてリポートしよう。

当時サーキットで戦ったPGC10レーシング



日本のモータースポーツの世界で、無類の強さを発揮し、伝説となったスカイラインGT-R。
その当時を走ったレーシングカーが動態保存されているのは、かなり珍しいケースだ。
1970年代の空気感すら閉じ込めた、生きる伝説のオーラに迫る!

GT-Rの匠 シライシエンジニアリングが仕上げたKPGC10



数々の栄光を打ち立てたGT-Rだが、生産から40年以上もたつクルマを維持するには技術と知識が必要だ。
そんな全国のGT-Rオーナーが一目置く、匠と呼ばれたのがシライシエンジニアリングの白石茂樹さん。
残念ながら2016年10月に亡くなったが、白石さんが手がけたGT-Rは、今もなお輝き続ける。

クーラーを装着した通勤快速PGC10



「旧車イコール夏場の灼熱地獄」と相場は決まっているが、汗をダラダラ流しながら運転しているのは
けっしてスマートな姿じゃない。それならば現代の快適装備をうまく利用して旧車をセットアップすれば
だれもがあこがれる「通勤快速仕様」のGT-Rが作れるはず。それを実現した1台を紹介しよう。

妻への思いで手放さない幻色の赤KPGC110



プリンスS54、PGC10、KPGC110、DR30、R31、R32GT-Rなど歴代スカイラインを収集。
その後、1台、また1台と手放す中、オーナーが唯一手元に残した真っ赤なケンメリGT-R。
どのクルマも手塩にかけたが、ケンメリGT-Rは奥さまもお気に入りのクルマだ。

GT-R owner’s club 富士スピードウェイ走行会



40年前(取材当時)の1977年に発足した「GT-R owner’s club」。ハコスカとケンメリGT-Rのオーナーが集まり、サーキット走行やゼロヨン大会を楽しんでいた。その伝統は受け継がれ、今回も富士スピードウェイに集まり、走行会が2018年11月19日に開催された。そのイベントを参加車両とともに振り返る。

激レアお宝パーツ&スカイライングッズ



ここまでは実車のスカイラインGT-Rを紹介してきたが、このページからはちょっと趣向を変えて、スカイラインにまつわる貴重な当時物パーツ、そして多くのノベルティーグッズの世界に足に踏み入れてみたい。「こんなパーツがあったのか!」、「同じ物でもこんなに違うのか!」、「ここまでスカイラインにしなくても……」などなど、コアでマニアなパーツたちを、埼玉のスカイラインコレクターとして有名なオーナーさんの協力のもと、紹介。


>> 【画像49枚】特集 「GT-R伝説」からのピックアップ写真




初出:ノスタルジックヒーロー 2018年2月号 Vol.185
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)



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editorial design : KIYOSHI HIRANO/平野 潔

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