開幕戦はロータリー勢が11台! バイオレット、フェアレディ280Zとともに走ったセリカターボ【3】孤軍奮闘トムスGr.5

1980年、童夢はル・マン用にセリカグループ5を開発。これをベースにした車両を1981年のスーパーシルエットに投入

       
1979年に始まるスーパーシルエット・レースに素早く対応したのは日産勢だった。
しかし、トヨタ勢、正確に言うなら1組織「トムス」も同時にアクションを起こしていた。
プライベーターながらトヨタのモータースポーツ活動を牽引する活躍を見せていく。

【国内モータースポーツの隆盛 第3回 日産ターボシルエットに対抗した、トヨタの旗手トムスGr.5の孤軍奮闘 Vol.3】

【2】から続く

 スーパーシルエット・レースの1979年開幕戦の参加台数は14台。ロータリー勢が11台(RX‐3が10台、RX‐7が1台)、舘セリカ、柳田バイオレット、フェアレディ280Zという内訳で、舘、柳田以外のほとんどは富士スーパーツーリングからの流れ込みとなり、第2戦以降は10台前後の参戦台数で落ち着いた。

 車両の実力としては、セリカ、バイオレットのベースポテンシャルが高いことは誰の目にも明らかだった。とくにターボエンジンの過給制御技術は未知の領域で、高性能の「代償」と必死に戦う苦労を強いられていた。

 もっとも、セリカとバイオレットでは抱える問題が若干異なるようだった。当時もトムスの技術責任者として手腕を振るった大岩湛矣(現トムス社長)によると、「全体の作りが脆弱だった」ということになる。

 このセリカは、重量配分改善のためミッション位置を車体中央に移し、エンジンとミッションをプロペラシャフトでつなぐ構造を採っていたが、このシャフトがトルク変動を考慮した物でなかったため、少し長めのアイドリングを続けるとよく折れたという。ただ、レース中はトルクのかかり方が安定するので問題はなかったようだ。

 また、スペースフレーム構造を採っていたが、フレーム剛性が十分でなく安定した走りを確立できなかったこと。燃料系が機械式インジェクションだったため、燃料噴射量の制御ができず、ターボのドライバビリティを確保できなかったことなど、基本的な問題が多かったという。

「それなりに考えられていたとは思うが、このクルマはシュニッツァーが年間のレース活動をドイツ・トヨタに提案するため作ったもので、活動予算を獲得するビジネスライクな作りではなかったかと見ている」と大岩は述懐した。


>> 【画像14枚】改造自由と思われがちなグループ5だが、ベース車両のサスペンション形式を使わなければならないなど肝心な部分での制約があった。写真は40系となった1981年のトムス車だがパワートレーン系、サスペンション系は前モデルと変わらなかった




>> 1980年ル・マン24時間レースの予選カット。ル・マンを目指すトムスと童夢が手を携えトムス童夢セリカという形で参戦。40系セリカを使い童夢がシャシーを開発。この時は開発時間が不十分で、残念ながら決勝に進むことはできなかった。




>> 世界のグループ5レースを圧倒的な強さでリードしたのがポルシェ935だった。多くのメーカーが打倒ポルシェを目指したがついに勝てず。ポルシェの強さは1971年のCan-Am用917ターボ以来開発を続けてきたターボ技術の高さにあった。



【4】に続く


初出:ハチマルヒーロー 2015年 05月号 vol.29
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日産ターボシルエットに対抗した、トヨタの旗手トムスGr.5の孤軍奮闘(全4記事)

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【1】【2】から続く

text & photo : AKIHIKO OUCHI / 大内明彦

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