僕が惚れ込んだBMWの、その足元にはいつもBBSがいた。 と或る、BBS物語。|BBS_STORY_04

BBS RE-V7/フラットタイプとラウンドタイプという2種類のフェイスが用意され、カラーリングは4色がそろう

       

BMW史に欠かせない存在となった鈴木“BOB”康昭。
胸を張って“改造屋”と言い切り、BMW小僧を貫きながら、
今や国内最高峰のレーシングチームを持つまでに成長した。
そんな彼の活動、BMWへ想いを通して紐解くBBS物語――。


【画像18枚】70年代から続くBMWのレーシングカー+BBSホイール


 今や全国5店舗を展開するようになったスタディには、いつもおびただしい数のアフターホイールが、壁面といわず床といわず所狭しと並べられている。BBSホイールは、その中でもいつも中心的な存在だ。
「店をやるようになって、BBSに対するリクエストの多さに驚いた。始めた当初は(1995年創業)、販売するホイールの半分以上はBBSだったんじゃないのかな」


>>スタディ東京のショールームにはBBSホイールがズラリと並べられる。ライバルメーカーが増えた今も指名買いが後を絶たない。

 BMW用ホイールなんて、今よりずっと少なかった時代だ。ヨーロピアンチューナー勢を除けば、ほぼBBSの独壇場だった。最初から決め打ちで飛び込んでくるユーザーが後を絶たない。だが、そうやって世のラブコールを体感してきた男こそ、他の誰よりもBBSに魅せられていた。BMW専門店であるスタディを立ち上げ、それを日本一の規模にまで拡大させ、最高峰のレースシーンにまで打って出た。創業者にして現会長の鈴木“BOB”康昭である。



>>鈴木は70年代後半から80年代にかけてのBMW×BBSのコラボに魅了された。BMW製レーシングカーにはBBS固有の繊細なメッシュパターン(クロススポーク)が似合う。


 子供の頃、レースシーンで活躍するBMWに魅せられた。時は1970年代後半、今よりヨーロッパが遠い時代だったが、穴が空くほど自動車雑誌を眺め、レーシングカーの勇姿を脳裏に焼き付けた。その当時からずっと足元を支えていたのがBBSだった。BMWとBBSは互いに手を取り合って、究極を目指してきたことを知った。あらゆるモータースポーツに果敢に挑戦し、その技術蓄積を持ってロードカーを生み出す。そうして生まれる一連のBMWは、ゆえにBBSのアイコン的存在であるメッシュデザイン(クロススポーク)との親和性が高かった。
「僕の中では、BBSはもう絶対的な存在。僕が憧れていたBMW像の中に、潜在的に組み込まれている。パフォーマンスにしてもマッチングにしても、常に間違いがない」
 そんな鈴木にとって、今につながる出会いは2015年の東京オートサロンにあった。

photo:渡部祥勝 WATABE HIROKATSU/南 博幸 MINAMI HIROYUKI/BMW AG  text:中三川大地 NAKAMIGAWA DAICHI

RECOMMENDED

RELATED

RANKING