リトラクタブルライト百花繚乱【2】15年の沈黙を破ったサバンナRX-7|80年代を象徴する憧れのアイテム、リトラクタブルにときめく

ハチマル世代のおもなリトラ車(1986年〜1991年)

       
流れるような美しいスタイルを実現させたリトラクタブルヘッドライト。世界のスーパーカーから広まったブームは海を渡って日本に飛び火。
百花繚乱、リトラクタブルの花が咲き誇り、少年たちの憧れとなった。


【 80年代を象徴する憧れのアイテム、リトラクタブルにときめく Vol.2】

【1】から続く

 その後、15年間ほど日本車にリトラは出現していない。が、1978年春、沈黙を破ってマツダがリリース。それがSA22C初代サバンナRX‐7だ。ほかのメーカーが排ガス対策に奔走し、スポーツカーが御法度と考えられていた時代に颯爽と現れ、鮮烈な印象を残している。このモデルが引き金となり、日本にもリトラの時代が到来した。ちなみに、初代サバンナRX‐7のリトラが、フィアットX1/9のシステムを参考に生まれたことはよく知られている話だが、他メーカーもX1/9のシステムを研究し、これを手本に設計したものが多い。

 火付け役となったマツダは、2代目RX‐7のFC3Sと3代目のFD3Sにもリトラを受け継いだ。また、1989年にデビューした初代のNAロードスターにも導入しており、丸目ヘッドライトがキュートかつクラシカルだった。加えて、スポーツカーだけではなく、1981年にモデルチェンジしたコスモもリトラを採用。2ドアだけでなく4ドアハードトップもリトラで、しかも角形4灯という異色のスタイルだ。その後、スタイリッシュな5ドアセダンのアスティナ(ファミリア)と、ユーノス100にも採用している。

 マツダとともにリトラに目覚めたのが日産だ。1982年にパルサーのクーペバージョンとなるエクサに採用したのを皮切りに、翌年にS12シルビアとガゼールをリトラ化。後継の180SXにも引き継がれた。また、Z31フェアレディZは、パラレルライジングヘッドライトと呼ぶ、半開きデザインを採用。ちなみに、1981年春に登場したジウジアーロデザインのいすゞ・ピアッツァと、1983年に登場したホンダのバラード&バラードCR‐Xも半開きのセミリトラで、愛きょうある顔立ちとなっている。


>>【画像18枚】我が青春のリトラクタブル。1989年式 スタリオン 2600 GSR-VRなど

 ホンダは、1985年に中核車種のアコードをモデルチェンジしたが、3代目はキュートなエアロデッキだけでなくセダンもリトラを採用。そのほかでは、2代目&3代目プレリュードもリトラとした。そして、日本が誇るNSXである。後に固定式ヘッドライトとなってしまうが、スーパーカーはやはりリトラが似合うのだ。

 手堅いデザインを好むと言われているトヨタでさえ、80年代はリトラに執心だった。セリカは3代目から採用したし、兄貴分のセリカXXと後継のスープラにも導入している。人気のAE86トレノとミッドシップのMR2も同様だ。また、スポーティーカーだけでなく、3ドアハッチバックにも展開。それが1986年にリリースされたカローラⅡ/ターセル/コルサの3兄弟で、スポーツグレードのみリトラ化されている。

 三菱やスバルもスポーツモデルにリトラを採用したが、ヘッドライトを点灯し、ライズアップしたときに空気抵抗が増えるのが難点だったため、他メーカーほど積極的に導入していない。また、部品点数が多くなることがコストアップにつながるだけでなく、フロント回りの重量がかさむことにもなる。これがネックとなっていた。

 こうして80年代はリトラ全盛期となったが、90年代に入ると厳しくなった衝突安全、歩行者保護の観点からリトラを廃止する流れになっていった。しかし、スーパーカーの流れを汲むリトラ世代にとっては、今なお忘れられないデザインで、胸に突き刺さる。リトラにときめいた青春は色あせないのだ。

初出:ハチマルヒーロー 2016年 1月号 vol.33
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

80年代を象徴する憧れのアイテム、リトラクタブルにときめく(全2記事)

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【1】から続く

text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明

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