1972年終盤、ふたつの事実【2】運命を変えられなかった、富士でのテスト|日産 スカイライン 2000 GT-R レーシングコンセプト

パワーユニットのS20型は基本的に10系と同じ。最終的には260psレベルに達したエンジンだがそれ以上は望めない状態でもあった

       
【日産 スカイライン 2000 GT-R レーシングコンセプト Vol.2】

【1】から続く

 興味深いのは、ちょうどこうしたタイミングで、日産ワークスが旧GT‐Rのボディでテストを行っていたことだ。恒例となっていた12月の富士オフシーズンテストのことで、エンジンルームに収まるL系6気筒の存在が確認されていた。

 ただ、通常のスカイラインGTシリーズがL20型を使っていたため、このエンジンの可能性もなくはなかったが、レース仕様車にL20型を使う意味はまったくなく、載せるとすれば同じ外観を持つL24型かL26型ということになる。ただ、確率としては、240Z用のL24型を移植したモデルと見るのが最も妥当だった。

 結局、L24型、あるいはL26型レベルのポテンシャルでは、当面対処できても最終的にロータリー勢の敵には成り得ないだろう、というのが日産陣営の結論だった。
 この読みは正しく、その後の富士スーパーツーリングレースでは、2.8L(しかもクロスフローヘッドのR390仕様)を積むS30Zでさえ、サバンナRX‐3の後塵を浴びる戦いを強いられていた。Zより大きく重いスカイラインなら、さらに不利な戦いとなることは容易に想像できた。

 この富士テスト、あくまで旧型ボディとL系大排気量エンジンの組み合わせという形で行われたが、新型スカイラインの性能をシミュレーションする意味では、十分な条件を備えたテストと見ることができた。

 しかし、仮にテストの結果が良好なものだったとしても、日産自動車の方針として、すでに特殊車両課主導によるレース活動の休止は決定していただけに、新型GT‐Rがレースに登場する可能性は限りなくゼロに近かった。



>>【画像11枚】復元時にメーターパネルをリメーク。やはり当時の日産レーシングカーと同じ作りだが、ノーマルから一転してレーシングカーらしい雰囲気が漂うコクピットに変ぼう






>> このオーバーフェンダーと、フロントスポイラーを装着した新型GT-Rが市販されることを望んだファンも多かったに違いない。現在なら可能性のある話だが、当時の運輸省では認可の可能性はゼロだった。爆発的な人気となったケンメリだがさらに売れただろう。



>> 1973年のショーモデル時代はブリヂストンR300を装着。すでにドライはスリック、ウエットは溝切りとタイヤの使い分けができていた時代だ。今回のモデルは溝付きのダンロップタイヤを装着。ホイールはレーシングGT-Rと同じ8本スポークが採用された。


【3】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年10月号 vol.183
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日産 スカイライン 2000 GT-R レーシングコンセプト(全3記事)

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【1】から続く

photo : RYOTA-RAW SHIMIZU/清水良太郎

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