三菱製のダッジ「コルトGT」【1】大切に維持されてきたアメ車、その生い立ち|1974年式 三菱 ダッジ コルトGT|ニッポン旧車の楽しみ方 第15回

ボンネットの先端には「DODGE」の文字。グリルには赤い「GT」のバッジが誇らしげだ。丸形2灯ヘッドライトを含むグリルのデザインと、ボディのカラーリング&サイドストライプはそのまま日本へ逆輸入され、1975年「ギャラン1600 GT」のモチーフとなって国内販売された

       
「コルト」という車名は、日本のクルマ好きにとっては三菱車を表す代表的なもの、という印象のはず。その車名を持つクルマが、実はアメリカの自動車メーカーのブランドで売られていたのをご存じだろうか。1970年代前半に起こったオイルショックのとき、クライスラーの中の1ブランド「ダッジ」の小型車として、コルトGTが販売されていた。そのうちの1台が、価値の分かる人たちによって、良好なコンディションで残されているのだった。

【 ニッポン旧車の楽しみ方 第15回|1974年式 三菱 ダッジ コルトGT Vol.1】

 今から40年前、アメリカ西海岸に日本車が浸透し始めたころのこと。世界はオイルショックに見舞われた。1970年には1ガロン35セント(1ドル360円で33円/L)だったガソリンが、第1次オイルショック後の1974年には53セント(変動相場制で1ドル292円、41円/L)になっていた。
「ガソリンは値上がりする」。現実に直面したアメリカの消費者の間には瞬く間に、サブコンパクトカーと呼ばれた小型車に乗り換える風潮が現れた。

 突然の消費者動向の変化に、米国メーカー側は慌てて小型車販売に力を入れたが、ダットサンやトヨタに太刀打ちできるほどの優秀な車種を持っていなかった。例えばフォード・ピントに対するメーカーの怠惰な考え方は後に「フォード・ピント事件(欄外参照)」と呼ばれる訴訟問題にまで発展したし、グレムリンを製造していたAMCは経営不振から回復できずに、最終的にはクライスラーに買収されてしまった。

 そんな状況下、高性能小型車をラインナップに加えたい米国メーカーと、北米市場での拡販を望んでいた日本のメーカーの利害思惑が一致した。クライスラーは三菱車のバッジエンジニアリングで、自社の販売網を通じて日本車を販売する方法をとったのである。

 情報豊富で新しもの好きで、しがらみもない都会っ子たちならいざしらず、保守的だった地方の人たちはといえば、地元ディーラーとの長年の付き合いがあったり、自動車メーカーに勤めていた人たちもいた。そんな人たちは小型車選びの際に、知ってか知らずか米国ブランドの日本車を選んでいった。

 あれから40年。アメリカで日本車はますますポピュラーな存在になり、車種も増え、オーナーの世代も入れ替わりながらファンを増やしていった。古いものはクラシックカーとしての価値も認められ、最近ではわざわざレアものを探す人もいるほどになった。


>>【画像14枚】同年式ギャラン(日本国内仕様)とは異なる独自の形状だったテールライトなど。サイドストライプとマッチした細いストライプがテールを囲み、その右上に「DODGE」の文字がはいるデザインだ。バンパーにはラバー製オーバーライダーがつくが、1974年式はまだそのサイズが小さかった

オリジナルの姿を守った機転

 クライスラーの展開するブランドの1つ、「ダッジ」の名前を冠した三菱製「コルトGT」。貴重なオリジナルの状態を残す1台が、カリフォルニア州サンノゼ市にあった。サンノゼ市は、東京都心のような込み合ったサンフランシスコの街から高速で1時間、土地にも余裕があって趣味のクルマを所有する人が多い土地柄である。

「手に入れてからまだ1年です」
 と話すセバスチャン・ハロさんもそのうちの1人。このクルマのオーナーであるハロさんは、実は大のアメ車ファンだ。自身も知らなかったこの日本製のクルマを引き取ることにした理由も、実はちょっと変わっていた。

 この貴重なクルマを初めに見つけたのは、ハロさんの友人のトニー・リースさんだった。
「このクルマをね、救ってあげることができたと思っているんですよ」
 そう誇らしげに語ったリースさんは純粋なるマツダ党。そんなリースさんが昨年インターネットの広告で、この三菱製のクルマを見つけた。マツダとは何のつながりもないにもかかわらず、走行距離の少ないオリジナルの状態であることを確認すると、即、買い取る決意をし、300kmも離れた町までわざわざ引き取りに行ったのだ。

「完璧なオリジナル車、走行距離も極端に少ない。こんな貴重なクルマがもし、ダッジという名前だけでアメ車ファンの手に渡ったら、V8エンジンでも積まれて、メチャクチャにされていただろうね」
 と言ってリースさんは明るく笑った。

 そんなリースさんの日本車に対する熱い思いと機転の利く判断で、このオリジナル車は今の姿を保っている。それを引き取ったハロさんも「もちろんどこもいじりません」という。

 今あるこのクルマの姿は、まさに2人の連係プレーのたまものだったのだ。




ハロさん(左)とダッジ・コルトGTを「発見して救った」リースさん(右)。「もうすぐ子供が生まれるので、あまりクルマにお金を使えません」というリースさんは、1973年式 マツダ RX-2のクーペとセダン、1973年式 マツダ RX-3の3台のマツダ車を所有している。





ハロさん家族は親子3代にわたって積極的にクルマに接してきた。父のセバスチャンシニアさん(右)は必要に応じて簡単な整備をこなし、そんな父の影響を受けたセバスチャンさんは、エンジンやトランスミッションまで手がけるようになった。息子エリックさん(左)が子供だったころのことを、「母親に『危ないからダメ』と怒られても、クルマを修理する私の側を離れなかった」と回想した。そのエリックさんはプロのメカニックとして経験を積み、今年1月に独立。ついに自分のショップを持つに至った。真新しい「ハロ・モータース」の看板がいかにも誇らしげだった。





金属板加工技師のハロさんは、週末には自宅で孫のクリスティアーナちゃんとのんびりと過ごす。ガレージの中には「もう1カ月も乗っていないんですよ」という現行フォード・マスタングが、エリックさんの1966年式 シボレー インパラ コンバーチブルと並んで止めてあった。カバーがかかった2台はオーバーホールを待つエリックさんの1972年式 シボレー カマロと1966年式 フォード サンダーバード。


【2】 に続く

ノスタルジックヒーロー 2013年10月号 Vol.159
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

ニッポン旧車の楽しみ方 第15回|1974年式 三菱 ダッジ コルトGT(全3記事)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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