男の趣味は、突然始まることもある。ずっと旧車を手に入れたいと思っていたクルマ好きが、売りに出されている意中のクルマを突然発見した時、一瞬血が逆流するような感覚に襲われ、あっという間に興奮状態に陥るはずだ。ご主人に「その瞬間」が訪れたことで、予想していなかった緑色のダットサンとの生活が始まった奥さまの話をお届けする。
【1972年式 ダットサン 1200 Vol.2】
【1】から続く 日産サニーの誕生については、いろいろなストーリーが語られてきた。ブルーバードの格下車種など不要だ、と主張した人もいたと伝えられる当時の日産の経営陣。ところがそのサニー、日本国内だけでなくアメリカでも存在感が年を追って増していった。その理由はずばり「コストパフォーマンス」だった。
ダットサン310系の北米市場導入以来「ダットサンセダン」にはブルーバード系の車種があてられていた。排気量を日本国内仕様より大きめに設定し、610系を引き継いだ810系からは6気筒エンジンのみの上級車種「マキシマ」となった。その理由はトヨタ・スープラ(セリカXX)の存在を意識したためだ。
>>【画像14枚】入手から1年近くたって、ようやく安全に公道を走れるようになった1972年式ダットサン1200(B110系日産サニー)クーペ。「塗装したいと主人が言うので、私は白が似合うと思うんですけれど、上塗りすると隠れた場所に緑色の部分が残ってカッコ悪いんだそうです」とオーナーの奥様「ダットサン1200」の名前でB110系サニーがアメリカへ上陸したのは1970年。セダンは510系まで進化しダットサンの知名度も高まっていた中、エントリーモデルとして初心者層をターゲットとした。そんな1200の運命を決定づけたのが70年代にアメリカや日本を襲ったオイルショックである。1200は新車価格が1700ドル台と、並み居るクルマの中でも最安値(例えばフォード・マスタングは2700〜3700ドル)。加えて燃費といえば、ガソリン価格が高騰する中にあって(※)どのクルマよりも優れているともてはやされた(12〜16km/L。マスタングが5km/L)。
そんなコストパフォーマンスは2代目となったダットサンB210(B210系、1973年)へ引き継がれた。搭載エンジンはサニーエクセレントに使用されたL14型ではなく、A13/A14型。レースで名を馳せた510や240ZのL型エンジンとは一線を画し、経済的で便利な足グルマの役割に徹した。
それでもB110系もレースシーンに登場し、プライベーターで1度だけチャンピオンに輝いている。その後1974年になってB210系が北米日産の援助を得てレースへ参戦したのは、販売の勢いづくB210の拡販活動の一環だったと見ることができる。
今になってファンの視点で見渡してみるとB110系はB210系ほど普及したわけでもなく、BREレースカーのような改造目標があるわけでもない。JDM仕様に目を向けたところでいかんせん1200はJDMサニーとほとんど同じだった。どう手を入れても「我流」にしかなりえない1200は、アメリカのファンにとってなんとも微妙な位置にある日本旧車なのだ。
つぶれていたタイヤの交換を手伝ってくれたのは、近所に住むドイツ車ファンのドン・デルロサリオさん。155R12だったオリジナルに対し、選んだタイヤはファルケンの155/80R12。こんなに細いタイヤは、現代の我々の目にはちょっと頼りなく見えてしまう。
摩耗していた足回りの部品を交換、半分以上欠損していたマフラーは作り直した。板バネ式の後輪サスペンションは段差を越える際に大きく弾むがボトムアウトする心配がなく、堅牢であることが運転感覚からよく分かる。
【3】に続く初出:ノスタルジックヒーロー 2017年10月号 vol.183
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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