クラス2ツーリングカー規定で禁止されたもの、重量ハンディを課されたもの|JTCC and more Vol.3|ハチマルレースモデルの超絶技巧

写真はJTCC初年度1994年のインターTECより。JTCCは1開催2レース制を採用しスプリント戦によるスピード感と接戦を見どころにしていた。このレースではプリメーラを駆る星野一義が優勝した。

       
【 JTCC and more Vol.3】
 
グループAの激戦はJTCCへ舞台を移し、多くのメーカーがしのぎを削る混戦へ

 ディビジョン1〜3のすべてにおいてワンメークレースの様相を呈してきたグループAは1993年で終了。それに代わって1994年からのツーリングカーレースにはクラス2規定が適用され、JTCCとして再出発。数多くのメーカーが参戦したのだが……。

 クラス2ツーリングカー規定でおもしろかった点は、4WDを禁止したこととFR車に50kgの重量ハンディを課したことだった。ともに根拠があるようでないような規定だったが、この時代になると世界中ほとんどのメーカーがラインナップする2L級セダンはFFパッケージとなり、4WDを封じFRに不利な規定を適用してもなんら不満の声は聞こえてこなかった(BMWはかなり抵抗したというが……)。

 逆に、4WDの禁止やFRへのハンディに対し、GT‐Rやアウディ、BMWに対する他メーカーのトラウマを見るような思いがした。

 しかし、実際こうした措置を目にすると、量産車を対象としたカテゴリーの場合、「突出した技術を持つメーカーが必ずしも有利にレースを進められるわけではない」ということを改めて思い知らされる。もっとも、こうしたあたりが「大人のサジ加減」となるわけで、長い時間をかけてモータースポーツを育ててきた本場ヨーロッパの「暗黙の了解事項」とも呼べるものなのだろう。四角四面で文句を言うのは少し感覚ズレとなるのかもしれない。

 こうした意味では、JTCC戦に参戦する国内主要メーカーすべてがFF方式であったことに対し、インポーターを経由して参戦するFRのBMWは気の毒な立場だった。しかし、それでもBMWは、JTCCやBTCCで速くて強かったのである。

 一方、コンパクト性がレーシングカーにとっての大きな武器と思われていた常識を、ある一面に限って間違いであることを証明したクラス2ツーリングカーの存在はおもしろかった。

 シリーズ創設当初はコロナ、シビック、サニーといったコンパクトな車体に2Lエンジンを組み合わせたほうが有利と考えられていたが、トヨタがエクシヴ、ホンダがアコードとワイドトレッドのシャシーに変更して戦闘力を引き上げたことでこの考え方は逆転。シャシー性能の重要性が指摘された。

 しかし、密度の高いレース内容とは裏腹に、市販車とまったく同じ形のセダン・レーシングカーというのはインパクトに欠けるようで、JTCCの人気は次第に尻すぼみとなっていた。

 日本でのクラス2ツーリングカーレースは、1998年が最終年となるが、この年はトヨタの積極的支援によってやっと成立する状態で、参戦車両はトヨタ車のみという状況になっていった。

 現在もWTCCがイマイチ盛り上がりに欠けているが、ツーリングカーレースの持つこうしたあたりの問題が原因になっているのかもしれない。

日産が1991年にBTCCに投入し1994年から JTCCに参入させたP10プリメーラなど【写真3枚】

初出:ハチマルヒーロー vol.19 2012年11月号(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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