とあるアメリカの山間部で「心を決めた母は他のクルマは眼中になく、スバルだけを目当てに買いに出かけました」|米国内で活躍する日本車 ヨセミテのスバルレガシィ【1】

スバルレガシィとアメリカ人オーナー、マクエバーさん

       
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アメリカの山間部で活躍するスバル レガシィに出合った。

 カリフォルニア州はアメリカの西海岸に位置していて、太平洋を挟んで日本と向き合っている。温暖で乾燥した気候で知られ、そのため旧車の保存にも最適な土地柄だ。一方、カリフォルニア州はアメリカでも有数の国立公園をその広い州の中に抱えている。日本で知名度の高いグランドキャニオンこそ隣のアリゾナ州に譲るものの、暑く乾燥した土地のデスバレー国立公園や、山岳地帯ならば壮大な景観を誇る世界遺産のヨセミテ国立公園がある。

 そのヨセミテ国立公園にほど近い場所で活躍していたレガシィ。オーナーはナンシー・マクエバーさん。

「このスバル、母から譲ってもらったんですけど、とっても気に入っています。私が乗るようになってからもう13年。ずっと家族オーナー車です」

 日常の足として信頼し、すっかりレガシィに魅せられた様子のマクエバーさん。このクルマに乗ることになったいきさつを語ってくれた。

「この前に私が乗っていたフォード トーラスは、エンジンが壊れて動かなくなったの」

 古いクルマだったわけでもなかったんだけど、と言って続けた。

「母が、ご近所さんが雪の中でスバルを運転していたのを見て、あれはいいクルマなんだろうと思っていたそうです。それで、私の叔父がやはりスバルを乗っていたものですから、乗せてもらってみたら、運転好きの母はもうイチコロ。雪道でのハンドリングもよかったし、クルマ自体もよかったと。心を決めた母は他のクルマは眼中になく、スバルだけを目当てに買いに出かけました。それでこのクルマを選んだというわけです。なぜセダンだったかというと、乗り心地がよかったからだそうです。私ももちろんスバルの名前を知っていました。よくできていて、他のメーカーよりも長持ちするっていう評判でした」

 乗ってみて実感しています、というマクエバーさん。故障しないだけでなく、標高1500mの山岳地の雪道でも安定したレガシィの走行を気に入って、ずっと乗り続けている。

 マクエバーさんが働いているのは、公園南ゲートのすぐ外に位置するロッジタイプのホテル「ナローゲージイン」だ。季節を問わず世界中から年間350万人の観光客が訪れるヨセミテ国立公園の宿泊施設は、公園内のホテル数には限度があるため、民間宿泊施設が公園周辺に点在している。

「この宿の始まりは50年代だそうです。所有者はこれまでに数度変わりましたが、2番目の所有者だった人が今のナローゲージインという名前に変えました」

 この名前は鉄道のナローゲージ(狭軌)のこと。ホテル敷地の隣には、19世紀末から1931年まで林業で木材の輸送に使われた蒸気機関車があり、鉄道が敷かれてあった。ナローゲージインの原型を作ったスイス系移民だった夫婦2人が、次に隣に廃棄されていたこの鉄道を「ヨセミテマウンテン・シュガーパイン・レイルロード」として修復し、61年に一部を復活させたという歴史がある。現在でも観光用に蒸気機関車が運転されている。

 2001年からこのホテルで働いているというマクエバーさん。通勤経路は片道25km。山岳地のため標高差が大きく、冬には積雪の有無で路面状態も大きく変化する。四季を通じて変化するコンディションに対応しながら、レガシィは4WDの強みを生かしてマクエバーさんの通勤の足として活躍していたのだった。
【画像12枚】オーナー・マクエバーさんが働いているホテルは年季を感じさせる木造の味のある建物が自慢だ。分厚い木のドアを開けると、暖房の暖かさだけでなく、木のぬくもりまでも伝わってきた



>>1991年式スバル・レガシィ。発売当時セダンはステーションワゴンの人気の陰に隠れた形になったが、その性能にもちろん引けはない。リアクォーターウィンドウの底辺がサイドウィンドウより一段高くなっているのがセダンのデザイン的特徴だった。

【2】へ続く

米国内で活躍する日本車 ヨセミテのスバル・レガシィ(全3記事)
初出:ハチマルヒーロー 2017年5月号 Vol.41
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
関連記事:スバル レガシィ

TEXT & PHOTO : HISASHI MASUI / 増井久志

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