短命に終わった悲運のハッチバック【3】セダンよりも使えて、ワゴンよりもスタイリッシュ。5ドアハッチバックセダンのアピールポイント

85年にデビューした3代目オースター(T12)はU12ブルーバードの兄弟車。ユーロハッチと名付けられた5ドアハッチバックは翌86年に追加されたモデル。オースターの5ドアハッチバックは初代にも存在した。しかし、オースターの名は3代目で終了。プリメーラが実質的な後継車種となる。

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5ドアハッチバックセダンの特徴は、セダンのリアセクションを独立したトランクではなく、ルーフ後端から傾斜したハッチバックとしている点。これにより、セダンのスポーティーさやフォーマルさと、ワゴンの実用性や利便性を併せ持つ……というのがアピールポイント。

つまり、セダンよりも使えて、ワゴンよりもスタイリッシュという一挙両得を狙ったわけだ。

先にも触れたように、5ドアハッチバックセダンが生まれた背景には、人々の生活やカーライフ、ニーズの多様化がある。これは間違いではないが、もうひとつの側面がある。これらのクルマたちが登場した頃、日本はバブル経済に向けて突き進んでおり、販売チャネルのマルチ化により、姉妹車の増加と差別化が図られたためだ。

【画像11枚】人々のライフスタイルを背景に生まれた5ドアハッチバックセダン。セダンのフォーマルさとワゴンの実用性のいいとこ取りを狙った



HONDA CONCERTO

88年に発売されたコンチェルト。ボディサイズはシビックとアコードの間に位置する。4ドアセダンと5ドアハッチバックセダンが設定されているが、後者はイギリスのオースチン・ローバー・グループ(のちのローバー)と共同開発。92年に後継車種のドマーニ登場とともに姿を消した。





MITSUBISHI LANCER

88年に登場した3代目ランサー。ミラージュと兄弟車となり、オーソドックスな3ドアハッチ/4ドアセダンのミラージュに対して、ランサーはスポーティーな5ドアハッチバックスタイルを採用(当時の三菱は兄弟車でこの戦略を推進していた)。1.6Lターボ+4WDのGSRが話題を集めた。






NISSAN PRIMERA

オースターの後を受けて90年に誕生したP10プリメーラ。欧州車、欧州市場を強く意識していただけあり、4ドアセダンのほかに5ドアハッチバックも用意。ただし、5ドアはイギリス生産の輸入車として91年から日本市場に投入された。この流れは2代目のP11でも受け継がれた。



【4】へ続く


初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

短命に終わった悲運のハッチバック(全4記事)

TEXT : Rino Creative/リノクリエイティブ

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