生き残りをかけたマツダの挑戦。扱いやすさを得たその仕組みとは?|唯一無二の究極エンジン ロータリー物語【2】

70年の東京モーターショーでお披露目されたマツダのコンセプトカー、RX500。スパ・フランコルシャン24時間用の10A型レーシングエンジン(250ps)をミッドシップに搭載するスーパーカーだった

       
エンジンの回転運動をそのまま駆動力へとつなげるロータリーエンジン。上下動のピストン運動と違い、パワーロスが少ない夢のエンジンだ。しかし、その実用化には高く困難な壁があり、多くの研究者を跳ね返した。そんなロータリーエンジンの誕生から実用化までを振り返っていこう。そしてロータリーエンジンの未来に光はあるのだろうか。

【唯一無二の究極エンジン ロータリー物語 vol.2】

 マツダは生き残りをかけてNSU社と交渉を行い、60年10月に仮調印にこぎつけ、年明けの3月に本契約を結んだ。だが、ここからマツダの苦難が始まった。まゆの形をしたローターハウジングの中で回る三角形のローターの頂点3カ所に取り付けたアペックスシールが内壁面にキズを作り、エンジンを壊してしまうのだ。

 エンジンが息絶える原因は、波状の異常摩耗によって燃焼室の気密性が保てなくなるからである。この「悪魔の爪痕」はチャターマークと呼ばれ、エンジニアを悩ませた。擦りキズ発生の大きな原因はアペックスシールの固有振動数ということは判明した。共振を減らすことに腐心したが、マツダは特殊加工を施した金属シールの先端に縦穴と横穴をあけたクロスホロー・アペックスシールを開発し、採用した。

 また、アペックスシールの材料も数多くテストしている。NSU社は金属製アペックスシールだったが、マツダは日本カーボン社と共同で、炭素素材のカーボンに特殊処理を施したアペックスシールを開発した。

 こうした苦労が報われ、ついにロータリーエンジンが日の目を見る時がやってきた。64年9月に開催された第11回東京モーターショーでコスモスポーツの試作車を初めてお披露目したのだ。一方、本家のNSU社は、この直後に世界初の1ローター・ロータリーのヴァンケルスパイダーを発売した。

 さまざまな難関を乗り越え、マツダがコスモスポーツの市販モデルを発表したのは67年5月。世界初の2ローター・ロータリーエンジン搭載車として自動車史に名を刻んだ。負けじとフォルクスワーゲン傘下に収まったNSU社もFF方式2ローター・ロータリーセダンのRo80を発売。ちなみに、同じ2ローター・ロータリーだが、両者には違いがある。NSU社は吸入抵抗が少なく、高性能化しやすいといわれるペリフェラルポートを採用。一方、マツダが選んだのはサイドハウジングから吸入するサイドポート・2プラグ方式で、低回転域で粘り、扱いやすいメリットがあった。これ以降、マツダはファミリアロータリークーペ、FF方式のルーチェロータリークーペ、カペラ、サバンナなど、積極的にロータリーエンジン搭載車を展開していった。

【画像37枚】生き残りをかけてNSU社との契約にkこぎつけたマツダだったが、ここからが苦難の連続であった


>>1969年のフランクフルトモーターショーで初披露されたメルセデス・ベンツのC111。3ローターロータリーを、MRレイアウトで搭載した。写真はディーゼルのC111-Ⅱ。


>>世界初のロータリーエンジン搭載バスとして74年に登場したマツダのパークウェイ・ロータリー26。エンジンは13B型を搭載。


>>日産もロータリーを開発。シルビアに搭載予定だったが、実用化にはいたらなかった。


【3】へ続く


初出:ハチマルヒーロー 2016年11月号 Vol.38
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

唯一無二の究極エンジン ロータリー物語(全3記事)

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text: Hideaki Kataoka/ 片岡英明

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