フェアレディZを自動車史に残る傑作へと導くことになった大英断とは? 日本が世界に誇るスポーツカー「Z」【前編】

日本が世界に誇るスポーツカー「Z」

       
世界中のクルマ好きが認めている量産スポーツカーが「フェアレディZ」である。その祖と言えるオープン時代のフェアレディは北米市場に足場を築いた。これに続くフェアレディZは知名度を世界へと広げ、モータースポーツの世界でも成功を収めている。その魅力と与えた影響を考察してみよう。

【Zの名を残す者 日本が世界に誇るスポーツカー「Z」前編】

 まだ日本のモータリゼーションが未成熟だった1950年代に、日産はスポーツカーを送り出した。最初の作品は1952年に誕生した戦後初のスポーツカー、ダットサン・スポーツDC-3だ。59年にはダットサン・スポーツS211が登場し、これはSPL212へと進化している。このときに「フェアレデー」を名乗り、すぐに表記を「フェアレディ」に変更した。

 車名は大ヒットしたミュージカルの『マイ・フェアレディ』に由来する。フルオープンのフェアレディは少数ではあったが、輸出され、北米マーケット開拓の足場を築いた。

 フェアレディZにつながる伝説の扉を開かせたのが第2世代のフェアレディだ。SP310の型式で呼ばれるフェアレディ1500は61年秋の第8回全日本自動車ショーでベールを脱ぎ、62年10月に発売を開始している。翌63年5月に開催された第1回日本グランプリでは、スポーツカーづくりに豊富な経験を持つヨーロッパのスポーツモデルを抑えて優勝を飾った。

 名神高速道路が開通し、ハイウェイ時代を迎えた65年春には1・6Lエンジンを積むフェアレディ1600(SP311)に発展し、余裕ある走りを手に入れている。そして67年春には真打ちのフェアレディ2000が鮮烈なデビューを飾った。エンジンは2LのU20型直列4気筒SOHCだ。

 ソレックス44PHHキャブを2連装したSR311は、日本車で初めて最高速度200km/hの壁を破り、ゼロヨン加速も15・4秒の俊足を誇っている。レースでも速い走りを見せ、ファンを増やしていった。とくに熱狂的なファンが多かったのはアメリカだ。

 60年代のフェアレディは、イギリスのスポーツカーを手本にしたオープンタイプのスポーツカーだった。日産がオースチンと提携したことも関係しているのだろう。日産のエンジニアはトライアンフやMGといった庶民派のスポーツカーに強いあこがれを持ち、フェアレディを開発したのである。60年代までは、スポーツカーといえばオープンカーを指す時代だったのだ。

 だが、60年代後半になると、走りの楽しさにこだわるマニアは、速いだけでは満足しなくなる。二人で乗ることも多いから、快適性が高いスポーツカーを望むようになった。とくにロングドライブの機会が多いアメリカのユーザーは快適性に強いこだわりを持っている。そこで第3世代のフェアレディは、天候にかかわらず快適なクローズドボディにすることを提案した。

 モノコック構造のクローズドボディなら剛性は高いし、衝突したときや横転したときの安全性も高い。また、空力性能の面でもオープンより有利だ。

 が、当時の日産の川又克二社長は、フェアレディはオープンカーが伝統だから次もフルオープン、と言って首を縦に振らなかったのである。そこで第三車両設計課のエンジニアは、大柄なアメリカ人が無理なく運転できるクローズドボディのパッケージを提案し、夏場でも快適なようにエアコンを取り付けられるように設計した。

 エンジンは4気筒を積む計画だったが、アメリカ人は6気筒エンジンが好みだし、トランスミッションもATが不可欠だ。そこで4速と5速MTに加え、3速ATも設定している。サスペンションは前後ともストラット式の4輪独立懸架だ。ハンドリングはいいし、軽量でコストも下げられる。

 この英断が、フェアレディZを自動車史に残る傑作へと導くことになった。高性能なだけでなく快適性を重視した大人のスポーツカーとして登場したフェアレディZは、速いし、快適にドライブを楽しむこともできる。天気のいい日だけでなく雨の日も運転が楽しいのだ。メカニズムの信頼性も高かったから瞬く間にヒット作となった。

【画像6枚】国内だけでなく、北米でも人気を博したフェアレディZは、日本の自動車史にさん然と輝く名車。モータースポーツにおけるフェアレディZは、サーキットレースにおいてはスカイラインGT-Rなどの後塵を拝していたが、ラリーにおいてはサファリラリー優勝などの成績を残した



>>1967年に発売されたSR311ダットサン・フェアレディ2000。オープンカーのフェアレディとして完成形といえる最終モデルで、フェアレディZ登場後も70年まで継続生産されていた記録がある。


>>北米に輸出された左ハンドルのダットサン240Z。ダットサンのブランドと「Z」という名前をアメリカ中に広めることに貢献した1台だ。


【後編】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2019年4月号 Vol.192
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


日本が世界に誇るスポーツカー「Z」(全2記事)


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text:Hideaki Kataoka/片岡英明 photo:NissanMotor co.ltd./日産自動車

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