GT-Rの50年 前編|国産スポーツカーの代名詞ともいえる「GT-R」の歴史を振り返る|ハコスカ、ケンメリそして、RS、GTS-R

国産スポーツカーの代名詞ともいえる「GT-R」の歴史を振り返る

       
1969年2月に発売されたPGC10スカイライン2000 GT-Rは、2019年2月に発売から50年を迎えた。日産自動車のみならず、国産スポーツカーの代名詞ともいえる「GT-R」の名前は、50年の間に2度の中断を挟みながらも着々と進化を遂げてきた。初代ハコスカGT-Rから、R35GT-Rまでの歴史を振り返ってみよう。



【画像9枚】国産スポーツカーの代名詞となっている「GT-R」50年以上の歴史の中で、様々なモデルが誕生してきた



1969年2月PCG10発売
スカイライン2000 GT-R

 
スカイラインGT、GT-Bの流れを汲む硬派のスポーツモデルが2000GT-Rだ。サーキットで勝利するために開発され、1968年10月の第15回東京モーターショーでデビューする。「R380エンジン搭載車」の名で参考出品され、JAFグランプリを見据えた69年2月に発売された。最初のGT-Rは4ドアセダンで、型式はPGC10だ。ボンネットの中には量産エンジンとしては日本初のDOHC4バルブ方式の直列6気筒が収められている。S20型はプリンスR380に積まれているGR8型を手本とした新設計のエンジンで、最高出力は160ps/7000rpmだ。トランスミッションはポルシェシンクロの5速MTを採用した。


1970年10月KPGC10発売
スカイラインHT 2000 GT-R


4ドアのGT-Rは69年10月にフロントマスクを化粧直しし、エンジンなどの改良も行った。そして70年10月にハードトップGT-Rを送り出している。型式はKPGC10だ。空力性能やハンドリングをよくするためにクーペボディを採用し、ホイールベースも70㎜短くした。また、ワイドタイヤを履けるように、リアフェンダーに樹脂製のオーバーフェンダーを被せている。車両重量もセダンGT-Rより20kg軽い。パワーユニットはS20型直列6気筒DOHC4バルブを受け継いだ。基本はセダンGT-Rと変わっていないが、レギュラーガソリン仕様が加わっている。レースでは破竹の快進撃を続け、常勝神話を築いた。

 


1973年1月KPGC110発売
スカイラインHT 2000 GT-R

 
3代目スカイラインで登場したGT-Rは、73年1月に初めてのモデルチェンジを断行している。これが「ケンとメリー」のGT-Rだ。第2世代にはKPGC110の型式が与えられ、精かんなルックスで登場した。専用のグリルを採用し、前後のフェンダーには樹脂製のオーバーフェンダーを被せている。また、リアにはスポイラーを装備した。サスペンションはストラットとセミトレーリングアームの独立懸架を受け継いだ。大きく違うのはブレーキで、ディスクブレーキをリアにも装備した。エンジンはS20型直列6気筒だ。KPGC110は唯一、サーキットに姿を現さなかったGT-Rで、生産台数も200台ほどにとどまった。

封印されたGT‐R

スカイラインHT 2000ターボRS



スカイライン 2000GTS-R
 

 
ケンとメリー以降、GT-Rは16年間封印されたが、その間にもGT-Rと呼べそうな硬派モデルは存在した。その筆頭が6代目R30スカイラインの「RS」シリーズだ。81年10月に登場した2000RS(型式DR30)は、新設計のFJ20E型を搭載。直列4気筒だがDOHC4バルブ方式で、GT-Rを名乗ってもおかしくないハイスペックなエンジンだった。83年2月には「史上最強」のRSターボも投入している。だが、4気筒という理由で、GT-Rを名乗れなかった。続く7台目R31では、直列6気筒DOHCが復活。87年登場の2000GTS-R(HR31)はRB20DET型エンジンを搭載し、210psを発揮するグループAホモロゲーションモデルだったが、GT-Rの名前は与えられなかった

 
【後編へ続く】


初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 vol.191
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

国産スポーツカーの代名詞ともいえる「GT-R」の歴史を振り返る(全2記事)

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text:Hideaki Kataoka片岡英明 photo:NissanMotor co.ltd./日産自動車

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