4T‐G型から軽量コンパクトな3S‐G型へとスイッチしたトムス86C、トムス87C【4】グループCカー時代の到来2:童夢とトムスで戦ったトヨタ陣営

中嶋悟がF1ライセンス取得のため、国際F3000に参戦することから、この年の正規メンバーはジェフ・リース/関谷正徳組となり、1000kmレースで星野薫が加わる構成になったトヨタ・トムス86C

       
スーパーシルエットの流れを受け、宣伝3課を軸に始まった日産のグループC活動に対し、
トヨタ勢はそれぞれ独自にル・マンや海外でレース活動を行っていた、童夢とトムスが手を携える形で始まった。
トヨタエンジンに和製シャシー/チューナーの組み合わせである。

【国内モータースポーツの隆盛 第6回 グループCカー時代の到来2 童夢とトムスで戦ったトヨタ陣営 Vol.4】

【3】から続く

 大きく変わったのはトムス86Cだった。何と言っても外観の変化は印象的だったが、エンジンがこれまでの4T‐G型から軽量コンパクトな3S‐G型へとスイッチされた。4T‐G型は熟成され安定したいいエンジンだったが、ポルシェ956を相手にするグループCカー用エンジンとしては明らかに非力だったからだ。

 非力だから過給圧を高めて使うことになるが、今度は燃費や信頼性が低下する副作用を生んだ。結局、絶対排気量が足らなかったわけだが、残念ながら当時のトヨタにはポルシェ956の2.65Lエンジンに対抗できる排気量のエンジンがなく、やむなく2Lの3S‐G型ターボが選ばれるという事情背景があった。

 4T‐G型は1970年登場の2T‐G型の発展型であるだけに、シリンダーヘッドは2バルブ方式と遅れていた。これに代わる新エンジンは必須。排気量を引き上げられないのなら、せめて軽量コンパクト、効率に優れるエンジンという視点から4バルブ方式の3S‐G型が選ばれた。

 もちろん、600psレベルを標榜するグループCカー用エンジンであるだけに、量産仕様とはほとんどの個所が異なる「Cカー専用」3S‐G型だったことは言うまでもない。

 シャシーは、外観が大きく変わったことと裏腹に、モノコック部分は84C/85Cの改良型だった。当時のグループCカーレースは、毎年モノコックを刷新するほどシャシーに対する性能要求は厳しくなく、ほぼエンジン性能に依存する戦いに終始していた。

 また、F1ではカーボンモノコックが定着し始めていたが、グループCカーでは依然としてアルミモノコックが主流だった。オープン構造のフォーミュラと違い、ルーフまで一体化した成型が難しかったからである。

 87Cで戦っていた1987年、トヨタがグループCカーレースへの直接関与を表明した。ワークスとしてグループCカーレース、ル・マン24時間レースに臨むことを打ち出したのである。

 くしくも、日産もこのタイミングで日産自動車としてグループCカーレースに取り組む態勢を発表。先行するポルシェをトヨタ、日産が追いかける、1960年代日本グランプリの再現構図となったことが何とも興味深かった。


>> 【画像15枚】童夢RC‐83 & トヨタ・トムス83Cからトムス86Cまでの歴代のマシンなど



>> トヨタ・トムス86C。中嶋悟がF1ライセンス取得のため、国際F3000に参戦することから、この年の正規メンバーはジェフ・リース/関谷正徳組となり、1000kmレースで星野薫が加わる構成に。スピードはポルシェと遜色ないレベルとなったが耐久力、燃費で及ばなかった。






>> 1986WEC富士戦の予選で中嶋悟が幻のポールタイムをマーク。スペアカー36T号車に乗って叩きだしたタイムだったが、この車両がTカー登録されていなかったために幻のポールポジションとなってしまった。



初出:ハチマルヒーロー 2015年 11月号 vol.32
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

グループCカー時代の到来2:童夢とトムスで戦ったトヨタ陣営(全4記事)

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【1】【2】【3】から続く

text : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 & DOME/童夢

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