描写の核心はクルマでなく人間。今だから分かる喪失感の味わい|スペシャルインタビュー 池沢早人師【3】サーキットの狼世代へ

ご自宅を背景に1ショット。依然としてお若い様子には、正直、驚かされてしまった。「さとし」は漫画家としての名前、新たな挑戦に向け「早人師」の名を考え出したという。

       
「サーキットの狼」企画のまとめとして、作者である池沢早人師(連載当時の表記は池沢さとし)さんにお話をうかがうことにした。自動車を題材としたコミックがなかった時代になぜこうした内容構成を考えついたのか、その真意を知るためだが、改めてその成り立ちをうかがってみると、読者がとらえていた「サーキットの狼」像とは異なる一面を見ることができ、新鮮な驚きを受けてしまった。

【 スペシャルインタビュー 池沢早人師 Vol.3】

【2】から続く

「ボクがサーキットの狼で描きたかったのは、クルマではなく人間像、ドライバーの姿だったんです。1人の日本人がいてその人間がF1ドライバーにまで上り詰め、そして優勝を果たす。この様子を描きたかったんです」
 スーパーカーブームを日本中に広めた張本人「サーキットの狼」の作者から「クルマではなく人」と聞いたときには少々意外だった。しかし、改めてそうした目で作品を見直せば、納得できる点がいくつも出てくる。

「富士GCレースに興味を持ち1972年頃からサーキットに行っていました。いやなことなんですが、当時は生死に関わる事故も多く、決まって火災が発生する。ドス黒い煙と炎が立ち上る生々しくておぞましい光景です。これが強烈なインパクトとなって心の底に焼き付いたわけです。風吹のライバルたちがレース中の事故により、非業の死を遂げるのもこうした体験が元になっていたからです」

 作中の主人公が公道レースを振り出しに、その才能を伸ばしながらサーキットレースに転向し、そこで世界の頂点へと上り詰めていく。一種のサクセスストーリーでもあるわけだが、こうしたドライバーとして、人間としての成長を理解しながら読んでいたかと問われると、はなはだ自信はない。人によっては、スーパーカーのオンパレード、爆走に目を奪われていた人も多かったのではないかと思えてしまう。


>>【画像19枚】1975〜1979年に連載された「サーキットの狼」など


「今だから明かすけど、公道レースの設定は読者に注目してもらう上でポイントとなっていた。レースだから数多くのスーパーカーを登場させることができる。日光のル・マン・イン・ジャパンもスーパーカーのレース仕様であるグループ5が始まったことをヒントにして作ったストーリーだった。また主要登場人物の事故死も、読者に強いインパクトを与えることができ、作品にさらにもう一歩踏み込んでもらう効果があると考えていた。主要登場人物を死なせてしまう設定は、ボクの知る限りでは「あしたのジョー」の力石徹が最初。次々としかも瞬時に、という意味ではボクが初めてでしょう(笑)」

 池沢さん、読者の心に残る喪失感の効果も見越したストーリー展開を考えていたのだ。おそらく当時、相当な反響があったのではないかと思う。

 自動車誌の立場から、サーキットの狼をとらえた今回の企画だが、その中心となる池沢さんの思惑、心中を語っていただいたことで、読者として読み足らない部分、理解力不足があったことに気づき、改めて今読み直したらどんな印象を持つだろうかと、お別れする際に考えさせられてしまった。

 ご自身もサーキットレースに参戦。1976年から1996年まで、グループA、GT選手権、N1耐久、スポーツカー耐久など全39レースに参戦したキャリアを持っている。

 ロータス・ヨーロッパでヒストリックレースはいかがですか、と水を向けたら、笑顔でかわされた。「サーキットの狼」を見たいファンも多いはず。再来を楽しみに待つことにしよう。



>> レーサーとしてのキャリアを積むため風吹が参戦したフレッシュマンレース。実際にも池沢さんもこのレースを経験した。ちなみにここに登場する「まつもと」は現在もJCCAのレースに参戦。「つちや」はGT300で活躍する土屋エンジニアリング。




初出:ノスタルジックヒーロー 2017年12月号 Vol.184
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

スペシャルインタビュー 池沢早人師(全3記事)

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【1】【2】から続く

©︎池沢早人師/animedia.com text:KEISHI WATANABE/渡辺圭史 photo:ISAO YATSUI/谷井 功

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