漫画家の青年がクルマに覚醒。出合いは路上駐車のS30 Z|スペシャルインタビュー 池沢早人師【1】サーキットの狼世代へ

かつてガレージの扉を開けっ放しにしておいたら、自宅前を通る道で、スーパーカー見物徐行による追突事故が発生したという。罪作りな話だが、池沢さんの自動車歴は80台にもおよぶという。

       
「サーキットの狼」企画のまとめとして、作者である池沢早人師(連載当時の表記は池沢さとし)さんにお話をうかがうことにした。自動車を題材としたコミックがなかった時代になぜこうした内容構成を考えついたのか、その真意を知るためだが、改めてその成り立ちをうかがってみると、読者がとらえていた「サーキットの狼」像とは異なる一面を見ることができ、新鮮な驚きを受けてしまった。


【 スペシャルインタビュー 池沢早人師 Vol.1】

 1970年代後半、日本に巻き起こったスーパーカーブームの立役者、いや張本人といってもよい存在が「サーキットの狼」だろう。後日、冷静な目で振り返ってみても、この作者は相当なクルマ好き、と思わされてしまう。
 だからこそ、まだ日本になかったクルマを題材とするストーリーを考え、時流に合わせて成立させることができたのだろう、と思っていた。ところが、事情をうかがうとちょっと違う。

「意外に思われるかもしれませんが、もともとクルマに興味はなかったんです。根が漫画家志向で、描くことしか興味なかった。ボクらの高校生の頃って、だいたい興味の対象は女の子かクルマ。女の子には興味があったけどクルマで騒いでいるヤツらが理解できませんでしたからね。それよりも描くこと、そんな高校生でしたね」
 たしかに、高校生になればバイクの免許が取得できる。バイクを乗り回して女の子をナンパする。ある意味、これも健全な高校生の姿で、高3になれば、生まれ月の順で4輪の免許も取ることができるようになる。いや、池沢さんの世代なら、16歳で軽自動車の免許も取得できたはずである。

「とにかく、漫画一本やりでしたね。どうすれば、漫画で食べていけるだろうか、そんなことを考えていました。もちろん、こんなことを親に言っても反対されるだけ。そんなとき、雑誌社が行う懸賞漫画に入選し、数千円だったと思うんですけど、現金書留が送られてきたんですよ。そうしたら、それを見た親が、やってもいい、と漫画家の道を許してくれまして(笑)」
 高校卒業後の池沢さん、漫画家のアシスタントをしながら自分の作品もせっせと描き、それが雑誌社に認められるまでになっていたという。


>>【画像19枚】1975〜1979年に連載された「サーキットの狼」など


「雑誌社の人が、アシスタント料いくらもらっているの、と聞いてくるわけです。えっ? と思うじゃないですか。要するに、ボクの作品を認めてくれ、それならアシスタント料はウチ(雑誌社)が面倒見るから、あなたは描くことに専念しなさい、と言ってくれたんです。うれしかったですね。でも、アシタント料は正直に言ってしまったんですよ。少し乗せておいてもよかったかな、なんて(笑)。いま振り返っても幸運だったと思いますよ」
 まだ、ハタチ前のことである。漫画家の世界をよく知るわけではないが、ハタチ前にしてこうした環境にあったのは幸運なことで、しかし、そうさせたのは池沢さんの才能にほかならなかった、ということなのだろう。
 プロ漫画家の道を歩み始めていた池沢さんに、人生というか価値観の転機が訪れたのは20歳のときだった。
「免許でもとろうかな、と考えていたときに、サーキットから出てきたようなクルマを目撃したんです。車高が低く、オーバーフェンダーが付いて、とにかくカッコいいわけですよ。あっ、これだ、ともう直感ですね」
 路上に止めてあったクルマで、それはフェアレディZ(S30)だった。

「当然、これが欲しい、と思うわけです。で、このことを担当編集者に言ったら『いや、あれは前が長くて見切りが悪い、危ない』と言って反対する。さらに印刷所の担当も『もっといいクルマがある』と言ってコロナを勧めるわけです。しかたなくコロナを買ってはみたものの、やはり乗っていて楽しくない。半年で売ってしまい、念願のZに買い替えました(笑)」
 池沢さんの本格的なカーライフはここから始まった。お気に入りのカスタマイズを施し、仕事の合間を見ては走り回った。そうすると仲間ができ、クルマや走りの話をするようになる。

「どこからどこまで何分で行った、なんて話をするわけです。そんな仲間の1人にセリカLBに乗っているのがいまして、ボクより知識があった。と言っても、ボクがまったく知らず、そいつがほんのちょっとだけ知っていた、というレベルなんですけどね。でも、先生なわけですよ(笑)」

 また、Zに乗ったことで同カテゴリー、似たような性能のクルマも気になり始めたという。
「マツダ・コスモ、ハコスカGT‐R、Z432も気になっていましたね。ボクのZはZ‐Lだったんですけど、当然240ZやZ432は知りましたし欲しいとも思ったけど、予算オーバーで買えなかった。そういえば、どうなんだろう、ボクがコスモを買っていたら、その後のいろいろな事は違ってきたんだろうか」
 分岐点となったZの購入に思いをはせ、そこから始まった「池沢さとし」流のカーライフが、ひょっとしたら違う方向に伸びていたかもしれず、それが「サーキットの狼」に対して影響を与えたかもしれない……。池沢さん、しばし感慨深げな様子だった。



>> スタビライザーが外れ、不安定なまま最終コーナーに飛び込んだため崖にぶつかり転倒。その勢いのままチェッカーを受けるシーン。これも実は池沢さんの周りで実際に起こったエピソードを元にしている。







【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年12月号 Vol.184
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

スペシャルインタビュー 池沢早人師(全3記事)

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©︎池沢早人師/animedia.com text:KEISHI WATANABE/渡辺圭史 photo:ISAO YATSUI/谷井 功

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